「打つ」という一言だけで、ギャンブルや勝負を指したりする。

安田プロもそうだが、パチンコやスロットを生業として打つ人には、麻雀等、頭脳ゲームを嗜まれる方が多い。
中でも盤上で繰り広げられる戦いである将棋は、その戦略に魅せられるのか、ポロリさんはじめ好きな方が特に多いように思う。

この映画はパチンコやギャンブルには直接関係ない。
ただ、破天荒という言葉以外に表せないプロが多いということ、好きだけではやっていけない、でも好きを忘れてしまってもやっていけない世界だという点での一致をもとに、ここにレビューを置く。

泣き虫しょったんの奇跡

公式サイト

2018年 日本 上映時間127分
監督:豊田利晃
原作:瀬川晶司
出演:松田龍平 野田洋次郎 國村隼 松たか子 イッセー尾形

泣けんのか信頼度……約33% 泣キーマンは早野巡査か

将棋盤に駒を並べてゆく美しい所作。

盤を挟んで正座する二人の男の子。熱中するは将棋。自転車の追い越し合い。幼なじみの親友にして、ライバル。

パチン・パチンと小気味よく響く駒の音と、シンプルなフレーズを繰り返すギターにのせて物語は進んでいく。

つぶつぶみかんや愛のスコールといった、時代を彩る缶ジュースたち。子どもがいたってお構いなしにガンガン吸う煙草。当時はそうだったという細かさが小憎らしい。

そんな前半の子ども時代は文句なし。年は若くても勝負師としての気迫が漂っていた。負けると火が付いたように泣きじゃくったという、藤井聡太七段の少年時代のエピソードは有名だが、子どもであっても負けると悔しいのだ。いや、子どもだからこそか。大人になっていくにつれ、そんな感覚をどこかに置き忘れていくのかもしれないという流れがある。本気になるとはどういう事かと。

周りの大人たちがふと呟くことばや一言が、多感な心にどう響いているのか。
松たか子演じる小学校の先生が、ひととして大切な事を優しく説く。君はそのままでいい。僕はこれでいい。
そんな子どもたちの将来を心から思う大人たちの表情が、とりわけ素晴らしかった。あたたかい視線は素直に胸を打つ。

プロ棋士への登竜門は奨励会である。年齢制限のある中で段位を取り、勝ち上がること。そこは実力でふるい落とされていく、容赦ない戦場だ。引き分けはなく、自らの口で「負けました」と言わねばならない。つまり将棋盤の上だけでなく、外側でも戦っているという事だ。対戦相手と、そして己と。

実話の映画化というのは、往々にして美化されがちである。
特に「夢をあきらめない!」系のストーリーは、涙を誘うための仕掛けが散りばめられる事が多いが、きわめて静かに紡がれていた。普遍的な物語だ。だからこそ、余計な演出がないからこそ、俳優の演技が大切になってくる。

将棋指しにはそれぞれクセがあり、独特な空気を持っている。そこにイイ顔面の役者らがパチッと揃えられていた。それぞれのアプローチにも唸る。主役を張れる俳優たちがふんだんに出てきては、ここぞという所でキメ、去って行く。中でも妻夫木聡のアップには強い説得力があった。

松田龍平は、わかりやすい演技をしない。表情を含めて抑揚のなさに賛否はあるが、笠智衆がそうであったように、ある一定の「凪」からのさざなみ、その揺らぎで有効打を放つタイプの俳優である。それゆえに周りの個性的な「イイ顔面たち」が際立っていく、という相乗効果を生んでいた。贅沢で素晴らしいキャスティングだった。

プロへの分かれ道である、四段へのタイムリミット。
時折、すい星のように現れる「超」のつく天才。

迫り来る焦りと不安の中で、パチンコやチンチロリン等ギャンブルに「逃げていく」場面がある。真面目でストイックなイメージが強い棋士たちだが、そんな弱い面も描かれていた。泥臭いエピソードがあれば、尚に良かったと思う。

連盟の旧態依然がややワルモノという位置だが、異例中の異例という決断が出た事から、ワルではなくなる。例外を認める事によって傷つく者が出る、という連盟の意見も当然の話だ。ただワル不在というか、切り込みが少ないために、映画としての観点では、若干の物足りなさを感じるというのはあった。登場人物すべてが優しいという部分に、不満を抱く方がおかしいのかもしれないが。将棋連盟が例外を認めたのは何故なのかも、突っ込んで欲しかった。

将棋を失った自分はゼロだと、タイムオーバーを自覚した瞬間の、もう立ち上がれない、もう一歩も進めない絶望感の描かれ方が印象的だった。

いつなのかはそれぞれだが、人は夢を持ち、現実という名と正体をハッキリと知り、その壁を前に、何かを、あきらめていく。時に仕方なく、時にやるせなく。

挫折を味わいサラリーマンになった彼の前に、運命の糸が垂らされる。

ここまで導かれるようにやってきた。それをひとは運命と呼ぶ。負けるか勝つかだけではない将棋の奥深さ、出会った人たち、本気を出すこと。もう自分一人の戦いではないという気付き。大人になった男の子2人が、自転車ではなく、並んで歩いて行く場面にもグッとくる。

全てを賭けた勝負は静かに流れていく。ドラマチックにババーン!というような煽りや音楽はない。

ただ、みんなの想いを指先にのせて打つ「この一手しかない」という一瞬には鳥肌が立った。ギターの音と間合いもピッタリ合わさった、それはそれは美しい瞬間であった……。

ここまで書いて、実は私が「将棋を全く知らない」というズッコケをオチにするつもりだったが、イッセー尾形、このやろう!という一言にしたい。あ、この流れなら泣けないな、もう自分は汚れちまったのかなと思いながら観ていたが、くそぅ。しかし泣いてしまった事が少し悔しく、またどこか嬉しかった。