現場で多くの打ち手を見てきた。反面教師も「こりゃ、かなわん!」という化け物もいた。
でも、「こういうプロになりたい」と思ったパチプロの筆頭がチャンさんだ。

チャンさんはメディアとは全く関わりない現場の人。
立派な大学に入ったのに、学生結婚をして家族を養うためにパチプロになった変わり種だ。
自分もメディアに出る際には元公務員ということで珍しがってもらったのだけど、彼は自分よりも10才以上年上。メチャクチャ珍しいパターンだったと思う。

そして、今もパチプロというと夫婦や家族でノリ打ちなんてパターンが多いのだが、チャンさんは「一度も子供を連れてホールへ行ったことはない」と言った。まさに腕一本!

手打ち時代からのキャリアで(田山さんのように)開店プロへ流れていった知り合いのプロも多かったとは本人から聞いたものの、彼はそちらへは流れずにヒラ打ちで踏ん張り続けた。
この年になると、自分もわかるよ。どんどん変わっていくパチンコで、それがどれほど大変なことかは…。

人当たり柔らかく、知的で、他人を押しのけず、時に茶目っ気のある笑顔を知り合いに見せながら、飄々と八王子の街を頑なに出ずに凌いでいた。
もしかしたら、読者の思い描く田山さん像を本人の田山さん以上に体現していた人かもしれないな。

年齢や時代の変化は誰にとっても大きな壁だ。チャンさんだって病で亡くなる前は、時代の最先端を行っていたとは言い難い。
でも、還暦をとうに越えても現役で打ち続けられたんだよ。凄くね?
あの年でパソコン通信時代からネットをやり(H.N.はMAX―CHANが多かったようだ)、90年代のWEB状況を知る打ち手なら知らぬ者はない「クロムノート」のメンバーに60代でなっていたのは、皆さんがお年を召してから価値がわかることだと思う。

ある店で「俺だけが全部アキを把握してるぜ」と有頂天だった状況で、後から来て事もなげに残り1台の打てる台に腰を下ろしたチャンさん。
(後年、その日のことを聞いたけど、当たり前過ぎたんだろう、「覚えていないよ」と言われた)
呑みの席で茶化すような発言をした若い人に、凄い学歴(友人から聞いていて、自分も知っていた)を話して諌めようとしたら、目で合図をしつつ「言わなくていい、安田君」と言ったチャンさん。
「八王子で昔から打ってる人間なら、ジーパンて言えば誰でもわかるよ」と、自然体で口にしたチャンさん。

何事も理詰めで考えてしまう自分がした質問
「チャンさんにとってパチンコとは?」

「考えたこともないよ、わからない」
と、笑顔で返したチャンさん…。

今もホールで頑張っているお弟子さん達、勝手に文章にしてごめんなさいね。
でも、メディアに出ない人の中にも、凄い人や立派な人がいるのは、これを読んでいる皆さんにも知っておいてほしいのです。
俺はチャンさんみたいになれないだろうな…。