ご存じ、パチンコ攻略マガジンの看板プロだった池上蓮さんのことを書きます。
自分はそこまで深い付き合いではなかったので、あくまで会った経験と同じ誌上プロ(死語?)という土俵のもとでの話ですがね。
(だから、アイキャッチ画像も著書にしました。ご遺族もいらっしゃるので)

☆誌面デビューの時期は違えども、彼と自分は同世代。すでに連載を複数やっていた自分にライバルという感覚は無かった。ていうか、「もう燃える対象にされるは勘弁してください」くらいの心境だったしね。

親近感はあった。会った時には「池上さんも海ばっかり打つようになっているけど、回し勝負だけではしんどいかも?」と思って、当時誌面に書くのを控えていた電チューに向けての捻りを話したし。
(のちに聞いた共通の友人の話では、大当り中くらいはやってくれていたようだ)

☆タイプは違った。池上さんは目指す位置が高かったし(小説家になりたかったらしい)、自分は「パチンコやって、適当に好きなことを書いて生きて行けるなら十分」というスタンスだったので。

そういえば、物書き意識は文章にも表れていた。漢字の多さは知識の引き出しを出したい結果だったのだろう。
自分はパチンコ専門誌という関係で、「一つの連載に辞書を引くような言葉は一つあるなしで」を旨としていたのは好対照だったと思う。

ちなみに、自分は石橋達也さんが責任編集をしたパチマガの増刊で、(ガイドとの交渉の末に)一度だけ名を伏せてパチンコ小説を書いたことがあるのだけれど、彼はそれを何年も経過しているのに覚えてくれていた。
こういうのは物書き冥利に尽きるもんだ。

☆「類は友を呼ぶ」じゃないけど、周囲に集まる友人達のタイプも違った。
まず酔っ払い度(笑)。自分は下戸だから。
それから議論好きなところ。ディベートというのかな、傍から見ると「えっ、喧嘩?」というほどアツく持論を戦わせていたもの。自分は「まあ、いいじゃないの。みんな違うし」という性格なので、これまた対極。

打つ機種も同じかな。自分の周りにいた連中は年は若くともパチンコに深入りした年齢が早いせいか、普通にアナログをこなしていた。
逆に池上さんの周りはデジパチ一辺倒な人が多い印象。あっ、彼自身は「アナログ系は玉を出す以前に面倒が多いから」と手を出さぬ理由を語っていたよ。
並びを厭う自分とは逆タイプの人だから、その辺は理解したなあ。

☆亡くなる前は特にインターネットを通しての情報なんだろう、多くの誤解があったようだ。自分も知り合いにいろいろ尋ねられたし。
でも、ゴタゴタは別として、実戦に関してはウソは一切無かったと思う。そりゃあハマリをウリにする以上、日記で採り上げるのは負けた日が多くなるだろうし。
亡くなる前の実戦地のことも、共通の知人を通して聞いていた。

☆ALSの辛さは正直、自分にはわからない。もっと長生きすべき人だったとも思う。
けど、太く短く生きて多くの読者の胸に残る存在となったのは確かだ。小説家の夢の前で生涯を終えることになっても、アナタは「特別な人」ではあったと思いますよ。
ご冥福をお祈りします。