大人になれば(18歳になれば)パチンコ店へ入れる(パチンコができる)・・・小さいころからなんとなくそう思ってた気がします。

小学生のころから木板に釘を打ち込み、パチンコ台は作っていました。見かけはスマートボールみたいな感じ。

釘に当って跳ねつつ、玉が転がる動き、なんか楽しそうに感じますよね。

パチンコをするきっかけは人それぞれ。私は日本のどこで生を受けたとしても、パチンコが好きになっていた変な確信があります。

地元を離れ大学入試の下見のため、(田舎者にとって)大都会京都市へ行ったのは、40年前、1978年11月27日のことでした。

ちらほら白いものが舞う寒空の下。松山千春の季節の中で、が流れる京都一の繁華街四条河原町。

大学の下見を終えなぜか繁華街に向かった私は、ワクワクドキドキしながらK店の戸を開けました。

店内の左半分は手打ちの台、右半分は電動ハンドルの台。

ここで考えました。 手打ちの台はベテランパチンカーに敵わない。技術の差が出にくい電動ハンドルの台を選んだ方が良いだろう。

見よう見まねでカウンター近くの玉貸し機に100円を入れ、小箱にジャラジャラ。小箱を持って電動ハンドルのチューリップ台を見ていく。

まだ、デジパチも羽根物もない時代です。

釘の構成を見て、ブッコミを抜けた玉が上部入賞口に入りそうな台を選んで着席。

そして、一心不乱にブッコミを狙い玉を発射。やがて、ブッコミより天4本の釘にバウンドさせて落ちた玉が天の入賞口に入りやすいと感じ、天4本の左と左2の釘間を狙う。

1発の無駄も無いように集中して打ち続け、その甲斐あってか、天の入賞と左チューリップが連動し、チーンジャラジャラと徐々に玉が増えてくる。

1点を集中してガン見し続けると、次第に視界の外にある右手が金色に光ってくる不思議な感覚にとらわれる。

この、ゴールデンハンド現象は、その後の入試後に同じ台を打った時と2度経験しましたが、2度目はやや光が弱くなりましたので、最初はそれだけ集中していたのだと思います。

そしてそこそこ増えた玉は景品に交換。帰宅後つい母親に自慢した記憶があります。

その後の人生でパチンコにハマることが決定した日でもありました。

 

■じゃじゃ流パチンコ川柳

「俺の手が 掴む未来は 金色か」