本日のお話は20歳でライバルホールへ移籍し、その後不倫やら色々あって割愛した数年を経た26歳の頃のお話です。少し間が空いてしまいましたので、過去記事はこちらからご覧ください。

 

26歳の時に以前のホールに出入りをしていた今もお付き合いがある弱電屋(遊技機、ホールコン、ナンバーランプ、データロボなどの配線、通信担当)の社長より、取引先で店長を探している!!小型店なのでちょうど良いんじゃない?というお誘いが。

遂に!!キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!

2.5円、7枚交換で日売200万くらいの不振店でしたが、待ってましたとばかりに直ぐに移籍を決断。

当時はちょうどイベントが始まったくらいの時期。先ずは周辺地域のリサーチだ!と競合店を見て打って周りました。

イベント状況、客数、スタートなどをワープロで一覧にまとめ、どう稼働を上げるか・・・

↓当時の近郊店のイベント状況↓

↓当時の首都圏の稼働、営業形態情報↓

「現状」

CR機、現金セブン機・・・3と7スタートは無制限(昼12時迄はオール無制限)

羽根物・・・3000発打止。終了台は開放しない!!

周囲のお店は概ね終日無制限、2.3円交換が主流なエリア。幸いにも移籍先の会社は無借金経営だったので、粗利ノルマがそこまで厳しくありませんでした。

※当時はまだ新台20万以下、一発減価償却の時代。

2.3円は安いとお客様から度々聞いていたので、2.5円のままスタートをよく回せて、稼働も上がり、粗利も確保出来る方法はないか、模索しました。そんな時に

隣県にアレパチの「アレキング」が1BOX38台、交換2.3円、で50000発稼働、台粗4000円(玉利8銭)で良く回り、開店と同時に満台になるお店有ると聞きつけ、早速、翌朝一番に出向くと・・・

この店は無制限だが“2時と6時に持ち玉を全交換”という他では見たことがないルールを採用していたのです。

私は直感で”コレだ!”と思いました。

その後、会議にて隣県の事は伏せ、私の提案と偽り、猫店長の好きなようにやってみなさい、と許可を得ます。

その時、私の2コ年上で、社長の孫娘にあたる女性営業部長が難を示していたのですが、私の熱弁に根負けし、渋々承認した、という経緯がありました。

この方、梅〇ア〇ナ似のカッコいい系で、意図的に怒られる報告をして、蚊の鳴くような小声でハイって返事をするドMな猫店長も居ました。

しかし、じつに負けん気が強く、後日、衝突することになるとは、この時は知る由もなかったのです。

 

そうして、いよいよ私案のテコ入れ後で新装開店 18時オープン!!

確か、社会的不適合機の撤去でFパワフルⅢを撤去、ナナシ―、レモン牌を導入!!

〇CR機、現金セブン機、権利物は14時と18時に交換

〇羽根物は4000個打止、人が代わり開放(20時以降は無制限)

……

すると、たったこの2点の変更で、1日の売上が月間平均で470万に上り、稼働、粗利も劇的に増えたのです。

こうなるとホールに出るのも楽しくて仕方ありません。

二十歳の頃、当時の店長が「稼働が有ると、不眠不休でも苦にならない、何をやっても楽しい。でも、稼働が無いといくら高給でも何をしても面白くない・・・」と言ったのが理解出来た瞬間でもありました。

当時の新台はしばらく赤字で使い、面白さを伝えてから少しずつ回収するパターンがスタンダード、私も当然この方式を貫いていました。

しかしある夜の閉店後に、例の女性部長が来て、「レモン牌”なんで一ヵ月以上も経つのに、粗利がマイナスなの?」と私に問いかけてきます。

私は、基盤が甘く、TS(特賞確率)が甘い、せっかく40000発以上の稼働がある訳だし、CRギンパラが突出して抜けてる、全体的にも良い流れ、だからこのまま行きます!と言うと、レモン牌のヘソをもう少し下げた方が良いよ、という指示が……。

あまりにしつこいので、私はイラっとしてしまいレモン牌のヘソに目一杯の力を込めて、ハンマーを振り下ろしたところ、次の瞬間、ヘソ釘がスタートチャッカーのプラスチックにめり込んでしまったのです。

すかさず女部長が「オイ!お前わざとだろ!人の事をおちょくってるな!!」と激怒!!

さすがにマズイと思い、「すみません、ちょっと力が入り過ぎましたと」苦しい言い訳をしたのです。

この一件以降、険悪な雰囲気が続く一方、私も稼働を上げたと自信過剰になり

「だいたい部長さぁ、これだけ売上、稼働、粗利も上げたのに昇給しないね~?面接の時に、貢献すれば、即昇給って言ったのも偽りかな~?」

と毒づいてしまいます。

女性部長「は?嫌なら辞めればいいじゃん!!」

と言われ、私はキレてしまい、会社を辞めてしまいました。

若かりし頃は感情で行動、今じゃあり得ませんが……。

この3年後に当時店長をしていた会社は、ホール業から撤退。女性部長はコンサル会社を共同経営で立ち上げました。

そこから更に10年くらい経った頃、私がコンサル時代、セミナーで講演をした際に、この女性部長が聞きに来たのです。

元上司の前で講演はさすがにやり辛かった(苦笑)

この講演の時に、元部長から、あの時はお世話になりました。と一言あり、私も謝罪し、これ以降は、新機種展示会へ出向くと帰りに、この元部長と飲む事が年に1回くらい、今でもあるのです。

二人とも大人になったね、なんて思うこの業界の不思議な縁でした。