前回は異業種からの業界参入と逸脱してしまいました。

さて今回のお話は独り立ち後、女性上司と喧嘩をして退職してしまい、パチプロで凌いでいる28歳の頃のお話。当時は「CRフルーツパッション/CR寛平笑劇場V5/現金機・杏仁豆腐」が稼働の軸でした。

田山プロを真似て朝はスポーツ紙を片手に並ぶ毎日――そんなある日、『パチンコ店、店長募集!!』の三行広告を見つけてしまいました。

またしてもキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!でした(笑)

早速アポを取り2日後に面接、オーナーは「機械ばっか買って売上、稼働、粗利が下がる一方」だと言います。キミはどんな営業をしていたの?もし採用されたらどんなお店にしたいのか?と聞かれたので

「私はあまり新台は購入せず(このスタンスは今でも変わらない)中古を混ぜ、還元しながら粗利を確保、割数にメリハリを利かせた営業をしたい」

と持論を熱弁しました。

ちょっと若いけど、それなりに経験もあるみたいだし、さすがに即答は無理だが前向きに検討するとの事でした。そして、社長が私を気に入ってくれ、面接に同席したパチンコ好きの女性事務員(当時30歳)が、私をプッシュしてくれた事もあり、無事採用!!

※実は採用後に分かったのですが、この時は面接に54人来たそうです。

 

当時は大当り1回に付き1個捺印され、60個貯まると好きな機種の設定1(パチンコでは設定1が最高設定)が打てるサービスがあり、それが二つ溜まっていたので慌てて消化。

採用内定後から入社までの2日間は、CR大工の源さんで―40K敗退、2日目はCRミリオンスロット(5回リミッター)機で30000発を叩き出し、プロ生活に未練もなく移行。翌日から店長として出社です。

(本当は日に日に厳しくなり安堵したのも事実・笑)

 

■初出勤初日の洗礼

まず初めに社長より「店長で良いの?」と聞かれたので、役職名は『マネージャーor支配人』で、とリクエスト(笑)肩書は支配人に決まり、先ず初日にデータ1週間分を見ると、明らかに特定台10数台が毎日、赤差玉が出ていました。

16割分岐で毎日14割後半の調整にしていたにも関わらず、1台あたり3~4万個も出ていて、なのに低稼働。

殆どがゴト師とグルになった前店長が、裏ロムを使い抜いていたのです。

ちなみに機種はミルキーバー、ギンパラ、ナナシ―、モンスターハウス、大工の源さん、黄門ちゃまでした。

事務員、主任はおかしいと散々言ったそうですが、前任店長と子分の副店長は客寄せの為に出る台を意図的に作っていると言って、社長は困っていたようです。

その後、店長とゴトグループで配当を巡りトラブルとなり、身の危険を感じた店長はバックレたのでした。

私が赴任するまでの1週間チョイの間は、ゴト師も終止符が近いからと毎日1台辺り5万発以上も抜いていたらしく、私が入社した初日からピタリと来なくなりました。

該当台を全て稼働停止(怪しい台も)、基盤を正規品に交換するのと並行して、凄まじくひん曲った釘を戻す作業、また遊び人風の態度の悪いチンピラを全部出入禁止にして追い出したのです。更に前任の子分の副店長にも辞めてもらいました。

※出禁にした日の閉店後、深夜に釘調整が終わり店を出た途端に、4人に”お礼参り”だと襲われ、額を立て5㎝くらい、後頭部も7cmくらい切りました。額の跡は今も残り、後頭部はそこだけ毛がありません(笑)

 

ゴト師を追い出し、不良客を排除した後は、釘を戻して、小穴など少し閉めてスタートを回しました。すると、たったこれだけで、1度も入替をせずに噂が口コミで広まり、3週間で稼働が2倍になったのです。

当初は知らなかったのですが、実は店の斜め向かいの雑居ビルに反社会的勢力の組事務所があり、ゴト師はそこからの派遣。親分から「アンタ若いのにやるなぁ、相当な決意があるんだな、もうウチの若い衆は行かせないから」と言われ一目置かれたものです。

オーナーも私の腕を認めた瞬間でもありました

 

その後は更なる稼働増を目指し、ホールに出てはお客様からダイレクトに不満や要望を聞いて回り、昔は満台で地域一番店だったことなども聞きました。

 

【現状の営業方針】

『パチンコ278台』

〇40個(2.5円交換)

〇セブン機・・・無制限

〇3回権利物・・・初回3と7スタート無制限

〇権利物・・・(ミサイル776)1回交換

〇羽根物・・・4000個終了

『スロット94台』

等価無制限(Aタイプのみの時代)※オール1でした。

イベント・・・無し(この頃はまだ全体の2割くらいしか無い)

 

そして、次なる仕掛けは“新装開店”の変更です。その時の内容は以下の通り。

★当日の入れ替えはオール中古機

★18時オープン(21時閉店)でパチンコ全台”開け”

★スロットは設定確認OKの全台設定”5″※希望者は”6″に変更可

★パチンコは権利物ミサイル以外は全台無制限に変更

3回権利物(ギンパラ・ミルキーバー)は初回大当り時にお客様の意思で無制限or一回交換を選択可能(一回交換を選択した人は、権利終了後に6000発を完全補償)

※当時の3回セットの権利物は2回目、3回目の当りが遅いと出玉が減ってしまうことや駅前店舗だったので、短時間勝負の方は一回交換の方が良いと考えたのです。

★ミサイルはサイドランプ3と7はWスタート8000発にして粗利率を0.1%台の薄利にした

 

これらを織り込みチラシで告知したのです。すると、お店は開店と同時に満員御礼で立ち見が出るほどに。出率は店全体でパチンコ19割、スロット14割弱でした。満台の為、かなりの出玉感と『出したなー』という体感がありました。

また、ミサイルのシマは常に半分くらい当たっているような状態で、開店と同時に全台が埋まる鉄火場になったのです。

そして、追い討ちとばかりにミサイル全台で月間2400万円を売上げながら、粗利がたった12万円の実際の営業データをトイレ前に貼りだしたのです。

昔の憧れだった上司が一発台、羽根物は薄利を徹底して使い、セブン機で抜くを真似したのです。

これらの仕掛けが奏功し、稼働増につなげた成功が更なる自信となりました。こうなると欲が出て、もっと稼働を上げたい衝動にかられるのです。

日々稼働、売上、客数、粗利が増えるのだから毎日仕事が楽しくて仕方なかったものでした。

 

・・・つづく

 

写真は当時の自店のチラシ(入替初日は毎回18時だが、等価全台設定6はさすがにキツイ為に、3回目の開店から456になりました(苦笑)。

  

当時の猫店長実写です(笑)

当時の平常営業データ、入社3ヵ月で中古の安い台が主力、日曜日にはすごく回収しているにもかかわらず、パチンコ72%・スロット95%の高稼働店に導いたのです。出す時は目に見えるるように赤字で出す!!抜く時は抜くメリハリが効いた営業でしたね。