時は平成4年の春。登場してくる機種の大半が裏モノに化ける狂乱めいた「3号機時代」に、遂に当局からの重い鉄槌が振り下ろされました。そう、税金の無駄遣いとして後の世に語り継がれた「パチスロの基板改修・再封印作業」です。

当局より発表された具体的な内容は以下の通り(当時のパチスロ必勝ガイドより一部引用)。

《(裏プログラムを)RAMに書き込みが可能な機種は、そのプロテクト回路と新品のCPU搭載のサブボードを、旧CPUを取り除いた部分に取り付ける。発売から3年以上が経過した検定切れの機種、および諸々の事情で検定取り消し処分になった機種、前述した改修が実行不可能な機種については点検作業を行う》

わかりにくい表記だけど、要は「連チャンを誘発する違法プログラムを書き込めなくなるように基板を改修し、検定を通過したままの状態に戻しましょう」ということ。とはいえ、全国に何十万台も設置されているパチスロを一台一台、全て手作業で改修または点検していくわけですから、膨大な時間が必要になります。それゆえ、4月の東京地区を皮切りに、順次実施していく…と、そういうことになりました。当時、私は大分に住んでいましたが、「大分県における改修作業の日程は、7月10日から7月31日にかけて」と予告されていたにもかかわらず、私のホームグラウンド(別府市のB店)に作業が入ったのは8月に入ってから。つまり、それだけ大変な作業だったのだと思います。

一説によると、この作業に要した経費は、総額で十数億円。そりゃあ、それくらいはかかるでしょうよ。

だけど、これにより裏モノが撲滅したかというと、残念ながらそんなことはなく、私の地元ではどの連チャン機も相変わらず元気一杯に連チャンしていました。当時は所轄とホール組合の間に何らかの癒着があったのではないか…といった噂もささやかれましたが(常連客の噂レベルであって根拠は何もありません)、結果的に十数億円をドブに捨てたようなもの。これでは「税金の無駄遣い」と斬り捨てられても仕方がありませんね。

この年の私の収支は以下の通りです。

平成4年のトータル

1月   +79,100円
2月  +171,700円
3月   -95,400円
4月   -14,900円
5月   +96,600円
6月   -17,300円
7月   -44,600円
8月   +27,200円
9月   -23,100円
10月   -138,200円
11月  +357,200円
12月  +209,700円

合計 プラス 608,000円

私がメインに打っていた機種は、前年から引き続きリノ(小役落ちバージョン)、アポロン(5連バージョン)、ドリームセブンJr.(状態バージョン)、キューティーフルーツS(36段階設定バージョン)…等々。

何や、み~んな裏モノやないかい! …などと怒るなかれ。3号機時代というのは、ノーマル機なんてほとんどないというか、むしろ裏モノしかなかったんだもの。後に、拙著「枠上人生」を単行本化する際に当時の担当だったパチスロ必勝ガイドの副編・岩佐君が、この時代を評したコラムに「表なければ裏は裏でなし?」という絶妙なタイトルをつけてくれましたが、この一言に全てが集約されていると断言して差し支えありません。

そう、決して裏モノを肯定するわけじゃありませんけど、表がなければ裏を受け入れて打つしかないのよね。まぁ、中には山佐の「スーパープラネット」のように、局地的な裏を除きノーマルのまま天寿を全うした清廉潔白なマシンもありましたが、マニアの間で最上級と絶賛されたスープラの出目演出も、ボーナスの大連チャンの前では存在感が霞みます。ある意味、メーカーも打ち手も何か大切なものを見失っていたのかも知れない。今になって私にはそう思えるんですけど、残念ながら「裏モノを打つ」という行為に罪悪感を抱いたプレイヤーは、当時は誰も居ませんでした、ええ。

ちなみに、残る「3-2号機」は以下の通りです。

コンチネンタルⅡ(ユニバーサル販売)
ホールインワン(山佐)
ミスターマジック(サミー工業)
チャレンジマン7(尚球社)
ドリームセブンJr.(高砂電器)
グレートハンター(エーアイ)
ペガサス412(パル工業)
アポロン(北電子)
マジカルベンハー(大東音響)
スペーススペクター(日活興業)
トライアンフ(タイヨー)

実は、これらの他に「幻の3-2号機」と呼ばれている機種もあって…。

コンチネンタルⅣ(瑞穂製作所)
アラジンゴールド(ニイガタ電子精機)
BEE(アークテクニコ)
アンクルサム(バルテック)

この4機種は、とあるアクシデントさえなければ全国デビューしていたはずなんですけどね。「コンチネンタル」「リノ」「ワイルドキャッツ」「セブンボンバー」の検定取り消しに伴い、日の目を見ることなく全機種が“お蔵入り”となりました。

このとき、4社に適用された検定取り消し処分は、当時の処分の中で最も重い「2項取消」であり(3年間は新機種の検定申請が行えない)、アークテクニコはパチスロの製造&販売業務から撤退。残る3社は3年間の“喪”に服したのち、4号機時代になってようやく現場に復帰しました。

人生いろいろ、検定取り消しもいろいろ…というお話。