いやぁ~、暑い!! 暑過ぎる!! 私にもあった少年時代の夏も確かに暑かった記憶は有るのですが「果たしてこれ程までに暑かったかな…」なんていう自問自答を繰り返すばかりの毎日が続いています。蝉の鳴く神社の境内で鬼ごっこをしたり、炎天下の広場で野球をやったりと…涼しいホールで座って1日を過ごしている現在よりも遥かにアウトドアかつアクティブでしたが「今日は暑いから外に出ちゃダメ!」なんて親に言われた事は無かったですし、「暑いので外に出ないで下さい」なんてニュースが流れた記憶など一切ありません。
夢はつまり、思い出のあとさき…そんなフレーズで夏を描いた名曲が有りますが、果たして「昔の夏とは別物の暑さ」という自分の記憶が正しいのか、それとも楽しい思い出だけが美化され残っているだけなのか…。ま、正解は「両方」だったりするんでしょうけどね。

そんな「暑い」夏から「熱い」と絡めての、今回のお題「絶頂」ですか…。パッと思い浮かべた人生での「絶頂」が著しく前半に偏っている事に初めて気付き愕然としている今この瞬間なのですが、一応「パチンコに関連して」という事なので私は
『パチプロとしての絶頂の時』
について話をしてみましょうか…。

 私のパチプロ歴は四半世紀に及ぶのですが、絶頂期と呼べるのは『奇跡の電役キャプテンロバート』を追った2007年に始まる約3年間だったように思います。
当時の私はというと…それまで田山幸憲プロへの憧れもあり長らく1軒の低換金店の現金機を主戦とした「ジグマプロ」のお手本のような毎日を送っていたものの、その優良店の雲行きが怪しくなったのを機に別の超優良店を見つけ、そこでのジグマ生活を謳歌していた時代でした。
当時は勝手知ったる1店舗でシノぐ「ジグマ」スタイルであっても同年代の一般的なサラリーマンの収入よりも多く稼ぐ事が出来、現在のホール状況とは全く違う「ぬるい」状況だったこともあり、私はその新しいネグラで毎日のように日当2~3万円の『海』を打ちながら同店の新台入替やイベント日を待つ日々を繰り返していたのですが…そんな中登場したのが『奇跡の電役キャプテンロバート』でした。
元々パチンコ雑誌で96.4%というその脅威の継続率が話題になってはいたものの、そこはジグマの守備範囲の狭さ、導入から暫くは台を見る機会などありませんでした。が、幸運にも少し遅れて私の「ネグラ」が導入したのです。しかも大量に…。

 『キャプテンロバート』は大当り中、セグを覚え止め打ちを完璧にマスターすればほぼ全ての玉を電チューに拾わせる事も可能な技術介入機であり、なおかつ更に上級者向けの「逆捻り打ち」も出来た優れ者でした。
オヤジ打ちとの出玉差が激し過ぎる為、一般の打ち手に合わせた台ならば「キチンと止め打ちをするだけで日当5万」の台でしたが、なぜかそこまで大量のライバルが殺到する事は無かったと記憶しています。今では信じられない長閑な時代でした。
机上論だけでなく素晴らしい勝率と共に結果もキッチリ出ていたので「これは『キャプテンロバート』を毎日打ち続ければ凄い事になるぞ!」と一念発起し、数日間をかけて愛知県内ほぼ全てのロバート設置店を車で廻るという、およそジグマらしくないフットワークの軽い立ち回りを初めてしたのも丁度この時期だったと思います。
結果、ロバートが「使えた」のは半年間ほどだったでしょうか…しかしこの凄まじい迄に貪欲な「店廻り」で得たホールの情報が後々自らの知識や経験となり、ホームで日当2~3万円の海を保険に打ちつつ信頼度の高い他店の強力イベントをピンポイントで狙い打つという『スベらない立ち回り』に繋がっていった事は確かで、このスタイルは「食える」と判断した台の設置店を県内単位で探しピンポイントで狙い打つ現在の立ち回りの礎にもなっています。
今考えても当時はやっぱり「そりゃ儲かるわな」という立ち回り、してますね(笑)。

 度重なる引越しで当時の収支帳は紛失してしまいましたが…『キャプテンロバート』と出会って以後の数年間は月間収支がずっと「3ケタ」を狙える位置にあった事だけはハッキリと憶えています。そのお金は酒と女と放浪の旅に全て消えて行ってしまいましたが…笑。
私はいわゆる『ネタ』や『攻略法』を殆ど使った事が無いので、収支面で考えれば…ですが、この当時が改めて振り返って見てもやはりパチプロとしての絶頂期だったのではないでしょうか。

 奇跡の電役キャプテンロバート…その破天荒なスペックだけではなく、海賊が繰り広げるコミカルで秀逸な演出やBGMにマッチした連チャン時の超イケイケ感…少年時代の楽しい記憶は美化されているとしても、この台の楽しかった記憶だけは決して美化されたものではないハズ。
自分の中のパチンコの名機も音楽や映像と同じで、当時の懐かしい記憶と共に存在しているもの。もう一度打ちたいですねぇ…。

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