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※本コラムは対談動画「安田一彦のここだけの話」を書き起こしたものです。 動画はこちら
聞き手/安田一彦 対談者/永浪
安田 はい、では始まりました。安田一彦のここだけの話、二人目のゲストがついに登場です。動画ファンの皆様、随分お待たせしました
第二回、何と雑誌の垣根を越えましてですね、パチンコ攻略マガジンから、知っている人はもちろん知っている、知らない人はめったに記事を書かないからよく知らないというねwパチマガでも実力ナンバーワンの誉れが高い『永浪プロ』に来ていただいております!
永浪 どうも、よろしくお願いいたします^^
※安田一彦のここだけの話・・・第2回ゲストは『永浪(えいろう)プロ』 パチンコ攻略マガジンで活躍のかたわら、一線で稼働を続ける知る人ぞ知るパチプロの登場です(動画内解説/万回転)
安田 よろしくお願いいたします^^久しぶりですねw
永浪 だいぶ…、忘年会以来ですねw
安田 そろそろ二カ月かなw
安田 でね、今日は永浪くんにプロとしての技術以外にもね、この対談はパチンコ必勝ガイドで昔僕が連載していた対談のWEB版、動画版なので表情とかも入れて困らせる質問もあるかもしれないですけど、それに沿った形でやっていきたいと思います。読者の人ね。この人結構現場の凄い人なんで…
永浪 あ、あんまりハードルを上げないで下さいw
安田 はははははw
僕もね、現実にホールであんまり一緒に稼働することはないから、楽しみにしています。それ以外に、凄い知性派なんで、どういう事を考えて打っているのか追及してみたいと思います
永浪 よろしくお願いします
安田 じゃあ、さっそくですが、じつは永浪くん、僕ちょっと聞いたことあるんですけど、高校時代、超有名な進学校に通っていたとか
永浪 名前は有名な…
安田 出せる?(名前)
永浪 あ、い、いいですよ。函館ラサール…
安田 ラサールですよ!!
永浪 いや、でも違うんですよ。函館と鹿児島は全然違うんですよ。でも、まあ確かに進学校だったんですけど、まあなかなかそっから落ちこぼれて、まあちょっとそれは…なんていうんですかね、パチンコ関係…関係というか、まあちょっと学生時代から、ちょいちょい触ってしまっていて…^^;
安田 知り合いにもいる! パチンコが仲間内で一番上手かったから、進学校だったのに結局留年して、大学を受けなかったっていうパチプロで有名な『ヨースケくん』という、あと超立派な国立大に行ったのにパチンコが上手すぎて、周りのみんなは(パチンコと)ある程度の距離を置いて、就職していっていまなんかエライ人とか、大企業でバリバリ働いているのに、自分だけパチプロをやっている『マコトプロ』とか
そういう人と、同じ匂いがするね^^
永浪 ちょっと、そんなに、そんなにちゃんと…、僕の方がもうちょっとダメなような気もしますけど、でもたしかに同級生とたまに会ったりすると、なかなかこの、感じの違いが出てきて…w
まあそれはそれで、僕は面白がっていて、向こうも面白がってくれているから、まあいいのかなっていうw
安田 やっぱり世間でいう立派な人になっちゃっているわけ?w
永浪 んー、そんなに立派でもないけれど、それなりに立派にはなっているみたいですw
安田 はー、まあそれに対して「永浪、なにやってんの」というと「パチプロ」というw
それを胸を張って言えているならいいんじゃないかな^^
永浪 いや、もう呆れてますwホントに^^
安田 えーなにかその高校生に…レール通りに行っていれば、有名な大学にいって、いいとこに就職してっていう道が待っていたと思うんですけど、なにが永浪くんを
永浪 いや、ちょっと僕は、もう一つ学校を遡るときから、パチンコが好きで…
安田 …え、中学?
永浪 …そーですね^^;まあ、いまじゃ、ちょっと考えられないですけど、わりと僕の田舎の方だと、まあ、たまに補導される、けれどまた行く、みたいな感じで
安田 へー、学生服の詰襟の部分を内側に巻き込んで隠して^^
永浪 そうですそうです!まさにそうですw
安田 へー、ありがちだよね^^
安田 やんちゃだったの?パチンコ屋さんに大人しい子は行かないよね?
永浪 そうですね…、いや、パチンコだけ好きだったっていう
安田 はー
永浪 まあ高校に入ったときも、もうなんかあんまり、そんなに頑張る感じでもなくなっていて…
安田 ラサールってなんか自由なんじゃなかったっけ?自分でやんないと、どんどんどんどん落ちていくっていう
永浪 そうです
安田 中島らもとかもそうじゃなかったっけ、…あれ、いや開成かな
永浪 あー…
安田 うん
永浪 というかあれですよ。重ね重ね言いますけど、本当に鹿児島とは違いますよw
安田 そか、んじゃ、普通の北海道の進学校レベル
永浪 そうですそうです^^
安田 でも、東大とかは行くんだよな^^
永浪 んー、何人かは行ってたような気もしますけど…でも、ほんとに3~5人とかです^^;
安田 わかりました。なにが(永浪プロをパチンコに)惹きつけたのかは、DNAの段階で、中学校の頃からパチンコ屋さんに行っていたということで、なにかこう、法律違反だけど…時効だからいいよね?w
永浪 はいw
安田 うん、細胞レベルでパチンコが俺を呼んでいた、という事で締めさせていただきますw
永浪 はいw
安田 で、ちょっと聞きたいのは、はじめて打った台なんて覚えてます?
永浪 んー、、、はじめて打った台は覚えてないですけど、はじめて勝ったのは『一休さん』ていう羽根物
※ぱちんこ 一休さん・・・1989年1月発売の羽根モノ (動画内解説/万回転)
安田 ああ!恐ろしい台だよね!!一休さんの首がグルグルグルグル回っているというシュールな
永浪 あー…、そうでしたっけwぼく、中身はちゃんと覚えてないです^^;
安田 おれ、2.5円時代に打った、うん^^
永浪 あと『モモタロウ』とか
安田 あー!西陣の!!羽根が上でパカってひらくw
永浪 そうです、「テケテケテケ、パカ!」ってひらくw
安田 そうそう、あれなんかポップでよかったな^^
永浪 ぼくも好きでした^^
安田 で、いつごろから勝ち始めたんです?
永浪 たぶん高校…、あんまり、そんなおっきい声で高校って言えないですけど…w
安田 時効だから大丈夫だよwあんたもう何歳やねんw
永浪 はいw んー、2年生ぐらいのときに新台を、新台入替で、まあその当時だと大体18時開放じゃなく、18時開店の店を、17時くらいから並んでちょっと入って、入るみたいな…、そうすると、なんか知らないけど出るみたいな
安田 うんうんうん
永浪 ところが、勝ちだした一番最初のときっていうのが、それです
永浪 けど、そのちょっとあとに、ちょっとだけ叩くとVに入っちゃうっていう台が出てきて…
安田 悪いことですかw
安田 こういうやつですかw(台をドつく仕草)
永浪 あ、いや、このくらいw(軽くトントンするような仕草)
安田 わかりましたwトンって叩く程度ということですねw
安田 まあ、それもゴトはごとです^^
永浪 まあ、そうです^^;
永浪 まあでも、いまだに覚えているんですけど、ガイドの田山さんが、その当時の、その『ちょっと叩く』という台に対して、「こんなやつ、叩くやつも叩くやつだけど、作るやつも作るやつだ」って言う記事、文章があって、僕はそんな、田山さんが書かざる得ない状況が、なんか、すごい叩いている側としたら、もう、いたたまれない気持ちにはなりました
安田 普通、叩くような人は「なに言ってやがんでい、この田山の野郎」みたいな、「叩いて出んだから、何でいけねーんだよ」と普通思うんですよw
永浪 いや、でもあれ、叩く人だけじゃなくて、作るほうにまで、このなんかズラしてくれてたあの感じの、なんていうんですか、田山さん独特の優しさっていうか…
なんか、ちょっと、逆にいたたまれなくなっちゃって…
安田 へー^^
永浪 まあ、そう言いつつも、やってましたけど^^;
安田 じゃあ、えっと高校ぐらいから勝ち組だったわけですか
永浪 そうですね、二年生ぐらいからですね。一年生までは、結構普通に負けて、友達にお金借りて、返せなくてバイトいかされて…
安田 ははは、でもまあしっかり返したんだ、働いて^^
永浪 はい、返しましたw
安田 で、そのままパチプロになったの、それとも大学受験はしたんですか
永浪 えっと、浪人したんです。浪人して、結局専門学校に入ったんですけど、東京の
安田 うん
永浪 それも、途中でやめちゃって、またずっとその間、むしろ、なんていうんですか、浪人も、勉強より、パチンコの一人での喰い方みたいな…w
安田 ははは、パチンコ修行だったわけですねw
永浪 どっちかというと、そういう側面の方が強いんで、だから、もうほんとに親には…^^;
安田 謝っとけ謝っとけ、見ている親に向けてw
永浪 あ、いや昨日もちょっと会ったんですよ大丈夫ですw
安田 まあ、いまとなっては物書きという肩書きも得て、社会的にも多少認められてきたんで、親にも言えるのかな、って気もするんですけど^^
永浪 うーん、どうですかねwよくよく考えたら、なんか後ろめたい話ばっかりになっちゃって…^^;
安田 みんなそうだよ^^俺もなんか親が泣いたもんね、ばれたとき。就職した後やめて、ずっと教員やってたと思ってたらしいんだよなw
永浪 あー、それは^^;
安田 おふくろが泣いてねえ^^;
安田 あ、でも親父はね、「俺も好きなようにやって生きてきて漁師になったから、おめえも好きなようにやれ」と言ってくれて、ちょっと救われたところがある
永浪 あー、たしかに。格好いいですね^^
安田 あとね、文句言えないように、親父が船を買わなきゃいけないってなったときに、パチンコで勝ったあぶく銭出したから
永浪 ああ^^
安田 「もう、何も言えねーだろう」みたいなのありましたけどw
永浪 それはいい話ですね^^
安田 二人とも、亡くなっちゃったから思い出話ですけど
安田 で、永浪くん、プロになったって自分で自覚したのっていつ頃?
永浪 やっぱ、専門学校辞めたときだから、その専門学校も長い専門学校で
安田 技能系?
永浪 んー、通信大学と専門学校を一緒にやるみたいな、四年待って、ま、全然行ってなかったんですけども、なんか21のときだと思いますね
安田 そのあたりでもう、パチンコのプロなんだろうな俺は~、と思ってそのまま、もう学校も行かないしプロとして
永浪 学校を途中でやめたときに、先生に、なんかもう半笑いというか、あんま聞きたくないという感じでしたけど、「僕、パチンコで食っていくんで辞めます」ってw
安田 えー!?すげーなそれ、はははw
安田 僕は昔、名刺に「パチプロ」って肩書きを付けたときがあって、ほーって言ってくれる人もいたんですけど、けっこう笑いもんにされましたからw
安田 お互い、天然といえば天然だったんですねw
永浪 そっすねw恥ずかしい話で^^
安田 えーまあ、このまま長すぎるとみている人も飽きちゃうと思うんで、小分けにしていきたいと思います
安田 で、今回はもう一つだけ聞かせてください。勝ち方、自分がプロになったあたりで、何を武器にして、まあ、すでにあなたは、もとの地頭はいいからさ、なんでも出来るようになっていたかもしれないですけど、もう、オレの勝ち方はこれだ、みたいなものって、すでにあったのかな、それ聞かせてください
永浪 んー…、でも、その当時だと、一般電役とか…
安田 ああ、もうその時代?
永浪 21…、フィーバークイーンとか打ってたし、あとミサイルが出てきて
安田 あー、そんな時代か
永浪 そうですね
安田 ほうほう、じゃあハニーフラッシュとか、マジカルランプとか
永浪 そーですね、なんかちょっとそこらへん僕もはっきり全部覚えていないんですけど
安田 二回ループもあったよね、黄門ちゃまとか、大工の源さんとかね
永浪 ありましたね
安田 ほーあの頃か。俺からするとあの頃からじゃまだまだまだだな、と思うけど、もうそれで二十年選手くらいだよね?w
永浪 そうですねw
安田 なかなかなかなか^^ え、それじゃボーダーライン理論みたいな感じで勝ってた?
永浪 そうですね。もうほんとオーソドックスに。それで普通のデジパチよりかは権利物とか、荒めの台をよく好んで
安田 へー
永浪 どっちかというと、等価じゃなかったので、荒い台の方がおいしいのが残ってたり、落ちてたりする可能性が高いんじゃないかっていう
安田 うんうんうん
安田 最近はそうなんですよ、ヘソの賞球とか、デジパチばっかりになっちゃったから、賞球数は大体同じくらいになっているから、一時間に突っ込める金額っていうのも、大体似たようなもんなんですけど、当時はね、ほら、スルーチャッカーの台とかあったから、時間二万近く入れられるとかでしょ
永浪 そうですね
安田 で、2.5円の時代なので、一万円使うと2500発じゃないですか。それ交換すると6000円ちょっとなのに一万円の価値があるから、持ち玉になってから粘ると、一回交換でボーダーラインの台って時給が大体、一万円使える台が3750円やん。もっと使える台は、保留玉連荘期の時代とかそうなんですけど、すぐ四千円とかになったから。最初は現金投資で入るけど、三万超える台が、2.5円の時代は結構あったね
永浪 暇な人間に手厚い感じのシステムだったんですよね
安田 うん、これは、古いパチンコ打ちのみんなは懐かしがってね、特にほら、ミサイルみたいな突っ込みが早いやつはいい台だと、出てくるのも、どこどこ出てくるし、ねえ、まあ楽な時代だったのかもしれませんね
安田 えー、この辺で一回閉めますけど次回は永浪くんがそういう勝ち方をしていきながら、なぜ、ずっと勝ってるんなら、お金儲けるためにパチンコやればいいと思うんですけど、こうやって僕と同じ、僕らと同じメディアに出てきたのか、それから少し田山さんの話も出ましたけど、中学生にも知られていた田山さんの存在、これはね、ぼく、プライベートで話をするときにときどき出てくるんで、そこらへん突っ込んでいきたいな、と思います^^