本日より新元号「令和」が施行され、新たな時代の幕開けとなりました。

そんな新時代の初日、現在連載中の当方のコラム”店長歴任シリーズ”は1回お休みをいただき、「店側、時にはプロ、そして1人のファン」として、明けても暮れてもパチンコ三昧だった猫店長なりの目線【昭和末期~平成末期】の30年強を振り返ってみようかと思います。

題して、「さらば、平成パチンコ!~時代は「令和」へ~」

お付き合いいただけますと、幸いです。

はじまり~「昭和62年」

▲当時の業界紙

私が初めてホール係のアルバイトをした高3(17歳)の夏休み、昭和60年台前半の頃でした。

ちなみに、当時の事は過去の記事でも綴っています。

プロも顔負け小学生時代/猫店長

改めて思い返すと、当時は毎日全従業員にタバコ1箱&ジュース2本が支給されていました。

平社員はマイルドセブンまで、主任はラーク、マネージャー(店長)クラスになるとパーラメント。

この頃のパチンコ客の喫煙率は80%くらいだったと思います。

あれから32年以上の歳月が流れ、来年4月にはホールも完全禁煙になります。

 

▲海物語でお馴染み「三洋」の広告

 

▲”牙狼”で名を馳せた現サンセイR&D、当時は「三星」

 

この頃の時代に使われていたものの、今ではすっかり”死語”となってしまった言葉を少し紹介します。

【お客さんとの会話】編

昭和~平成3年くらいまでの間において、ホール内で交わされていた会話は↓こんな感じでした。

スロット客:「おーい、猫兄ちゃん!もう3万も突っ込んだぞ!“ちょっとかっぱいてくれよ”。」

猫店員:「ハイハイ、これくらいでいいかな?でも、かっぱいても変わらないよ”?」

スロット客:「う~ん、もう少しかな・・・」

※かっぱく=コインを抜く

当時は、ある程度ハマると何故か「コインを抜いてくれ」と言う人が本当に多かった

と言うのも、当時のパチスロでは、いわゆる「吸い込み方式」(現在で言う「天井」)と言う抽選方式が採られいたことに起因している。

要は、スロット内のホッパー(メダルタンク)自体が1,500枚程度の容量で、これが偶然にも吸い込み天井の枚数と同等であることが多く、「ホッパーが満タンに」→「かっぱぐ」→「(その後すぐに)吸い込み天井到達」と言う流れが多く、それが「かっぱく→当たる」と言うオカルトとして伝播した感じですが、本当に多かったのです。

ある時、私が営業中にスロットの空き台からコインを抜いて回収していると、血相を変えた主任から「オイ、猫!お前がコイン抜いたから割が上がったぞ!」と、真剣な顔で怒られた事がありました。

ハマり台からコインを抜くと、1回はBBが出る!」と言う説を信じている人は、プレイヤーにも従業員にも本当に多かったです(笑)

 

【業界用語】編

〇「連続挑戦可」、「持ち切り」
→パチンコで、同一人物が何回でも開放⇔打止可能である場合を指します。意味は同じでも、地域差がありました。

〇「コーナー開店」、「部出し」
→特定の機種を甘く使う場合に、このような言い方をしました。こちらも地域差ありです。

〇「三洋は釘が固い」
→昔の釘師は、皆口を揃えて言っていました。なので、実話です。

〇「ドンキ」
→ヘソ、命釘の事を昔は”ドンキ”と言っていました。開店釘でヘソが大きいと、メーカー担当者が「”ドンキ”気合入ってますね~!」なんて言う事も。

〇「弁当箱」
→補給設備の”アウトボックス”のことです。「おーい!3番台、補給点検出たから弁当箱見て来て~!」と言う風にインカムで指示をしていました。

〇「パルコン」
補給メーターの事です。「パルコン」は大都技研のもので、エース電研のものは「パレスター」と言ったり、メーカー毎に違いがありました。

〇「シャトル」
→島補給(還元機)の事。西陣製だと月光、シャトルワン」、三共製だと「パールライン」、エース電研だと「クリーンマスター」と言う名称であったりと、こちらもメーカー毎に名称がありました。

 

平成初期~半ば

▲女性釘師も活躍していた時代

▲猫店長も若かった(笑)

 

この頃になると、大手をはじめとして、【全国展開→大型店】と言う業態がスタンダードになりました。

また、新宿にて総工費160億円をかけた4,000台(400台×10階建)の出店計画なんかも一時話題になりました。

・・・が、こちらの案件は、後に白紙撤回に。個人的には楽しみだったのですが・・・。

▲2,000台の近くに4,000台の出店予定が・・・

 

平成22年~

この頃になると、「高価・等価」へ舵を切るチェーンが増えはじめました。

多くの店長達は、この方針には「反対!」と声を挙げていました。

後に、「一物一価(=パチンコ・スロットの交換率を同一にせよ)」の通達により、業界は一律等価へと走りますが、その結果、業界は衰退の一途を辿り始めました。。

全ては、私たち「業界人」が利益を追求した代償。

「遊技」として遊びたいプレイヤー・ファンに、そっぽを向かれてしまった。と言うことです。

根底として「メーカーが機械代を値上げするから、(利益追求は)致し方ない。」と言う業界人も居ますが、それはお門違い。

別の機会に書きますが、中には「中古機を軸に使い、還元率を上げ、しっかりと集客に成功しているホール」も実在しています。

 

さて、駆け足気味でしたが、振り返りはここまで。

〆は、これからの時代の話です。

平成の終わり~時代は「令和」へ

近年では、業界でも新卒採用に力を入れ、働き方改革にも対応し、更にはコンプライアンスを徹底している会社が増えています。

私の予想では、このような会社が勝ち組となり、業界の中で永く残るのでしょう。

そして、「令和」時代を迎えると共にホールが直面する大きな転換点が、以下の①~④です。

①みなし機(検定、認定切れ)遊技機の撤去

②全面禁煙化

③高射幸機の撤去

④2021.1.31新規則機への完全移行

“釘師ゆきち”さんも記していましたが、元号だけでなく、業界としても”新時代の幕開け”です。

きっと、④の時期には、全国のホールは7~8,000軒になるのではないかと思っていますし、猫店長のお店も閉店すると思います。

新時代を生き抜く事ができるホールと、そのホールで立ち回れるプレイヤーが、令和時代の「パチンコ・スロット」を支えていく事になる。

おそらく、今後は自然とそう言う風になっていくと思っています。