「おい、おまえ、このまえ○○の開店にもいたよな。どこの会の人間だ。話聞きたいから、ちょっとこっちへ来い」

身長180弱、きれいに刈り揃えられた短髪、色白ではあるが、Vシネマに出てくる悪役さん、またはSP物に出てくるボディーガードのような圧迫感のある体格、ポケットに手を突っ込んだままセカンドバッグを小脇に抱えるお兄さん

この人物の名前は『白谷さん』

一切の抵抗を諦め、見えない鎖がそこにあるかのように一定の距離を保ちながらついてゆくポチ

こんな残酷な世界はもういやだ、と半泣き状態のポチを、情け容赦なく店外に連れ出す

店外に出た後も、白谷さんは止まらない

一瞬立止るポチを無視して、ゆっくりと人通りの少ない店の裏へとすすんでゆく

…神様、ポチ、貝になりたいっす

 

 

1995年 ぽち19歳 拝島モナミに通い始め2年目

当時のパチンコは今のように無制限当たり前の時代ではなく、一回交換、定量、ラッキーナンバー制(※1)、と店や地域により様々なルールがあった

換金差額があまりにも大きく、なおかつ、持ち玉遊戯率の極端な低さから、持ち玉で打てる状況ならば、保四なんて無視して打ちっぱなしでも期待値はプラスという台がかなりの割合を占めていた

「パチンコの必勝法は粘りと根性」なんて脳筋のようなキャッチコピーも、無制限に入ったときだけは、あながち間違いではなかった

数少ない無制限のときのみに稼いで、あとは寝るだけ

いまだに、この生活を告白していない相手に、「昼間は何しているんですか」、と聞かれると、条件反射のように「毎日、寝て過ごしています」と答えてしまうのは、きっとこのころの影響

安月給だが、高時給の短時間

ちなみに、それよりも以前のパチンコは、その傾向がもっと顕著だったらしく、

「昔のパチンコ打ちは、羽根物や一般台の釘の開いた台を2、3時間で打ち止めてその日は終了、翌日の投資金額のために500円だけ残して、あとは飲み屋で使い切る、そんなお気楽な時代だったんだぜ」

なんて昔話を同じモナミに通っていた『Tさん』に聞かせてもらっては日々笑っていた

 

2につづく

 

※1
一回交換は、当る度にレシートに交換、再度現金投資

定量性は、店が定めた出玉数に到達するまでは持ち玉遊戯可

LN制(ラッキーナンバー制)は、揃った絵柄によって交換、継続、無制限となる