令和元年、あけましておめでとうございます。新しい時代が幕を開けたわけですが、引き続き私的な昔話を披露させていただきますので、お付き合い宜しくお願いいたします。

さてさて、前回は91年の東京移住直後に起こった池袋ボッタクリ交換所事件(私が勝手に命名)についてお話ししたわけですが。再び時間を80年代末期から90年代初頭に巻き戻しますね。

1989年すなわち平成元年の夏。私は尼崎の実家を出て、大阪市は此花区に住処を変えました。遠距離恋愛していた東京の彼女を呼んで同棲生活を始めたのです。

此花区というところは、2001年にユニバーサルスタジオジャパンが開業して脚光を浴びましたが、元々は湾岸の工業地帯。空気も環境もガラも悪いところでした。なぜそんな街に住むことになったかというと、バンドのメンバーが住んでいて同じマンションの空き部屋を紹介してくれたからなんですね。

最寄り駅の阪神電車西大阪線(現・なんば線)千鳥橋駅前は、アーケードを中心に下町ムード満点の商店街になっていて、パチンコ店が4軒にパチスロ専門店が1軒ありました。そのうち、よく通ったのがN店とS店です。

N店は、6ボックス12列ほどの小さな店でしたが、常に怒濤のごときマイクアナウンスが炸裂していて非常に活気がありました。

通い始めた当初、パチスロは尚球社の2-1号機「チャレンジマン」がありました。ビッグ成立まで継続する集中役「ジャンボフルーツ」で一世を風靡したマシンなんですけどね。ある日、負けが込んで死にそうな顔をしながら打っている私に沖田浩之に似た店員が「朝から来た方がええで」と耳打ちをするんですよ。

で、さっそく翌日朝イチから行ってチャレンジマンのシマに入ってみると、なんとびっくり。リーチ目が出ている台が何台かあったのです。にもかかわらず、他の常連客はリーチ目に気づいていない様子。

「これは、オイシイやないか」

翌日から、彼女や同じマンションに住むバンドメンバーとその彼女も動員して、モーニングを取りまくりました。まぁ、集中役が主体のマシンなのでビッグはオマケみたいなもんなんですが、持ちコインでジャンボフルーツに入ることもしばしばあったので、まぁオイシかったですね。

でも、さすがに1週間もすると店も気づいて、対策されてしまいました。ジャンボフルーツが入った状態の台が何台か用意されていて、ビッグを早掛けした順にそれを打たせてくれるという風にルールを変更したのです。
そりゃあもう、最初のうちは頑張りましたけどね。結局、一度も成功することなく財布の方がパンクしてしまいました。

そんな感じで束の間のモーニングバブルが弾けたあとは、もっぱら隣のS店がメインになりました。こちらはN店の倍以上もある大きな店で、パチスロはオリンピアの2-1号機バニーガールがありました。モーニングもなく、しかもビッグ終了ごとにコインを流す1回交換というケチなルールだったんですが、その分設定状況はよくたぶんオール456か56だったと思います。

しかし、N店ではパチスロよりもむしろパチンコを打つことが多かったです。それも、ある特定の1機種ばかりを。当時、大阪で大人気だった、藤商事のアレパチ「シャトル21」です。

盤面中央にある三つ穴クルーンの後ろ2つに玉が入ると盤面右にあるデジタルが回り、「3-3」「7-7」で大当り。あとは店が定めた終了個数に達するまで右打ちで消化するだけ…まぁ、早い話が一発台なんですね。

N店の場合、終了個数は4000個。でもって、「お一人様4回まで」というルールがありました。「1台で4回大当りしたら台を替わらないといけない」ということなんです。パチスロの1回交換といい、ずいぶんケチ臭いんですが。その分、クギはよくボーダーを楽に越える台がゴロゴロしてました。

ちなみに、シャトルの向かいにはマルホンの「プリズム」という一発台がありました。「役モノに入る=大当り」なガチの一発台なんですが、ともかく当時の一発台のシマは客層も香ばしく素人は軽々しく足を踏み入れられない雰囲気だったんですが、前出のバンドメンバーが古くからこの店の常連だったもんで、問題なく輪に加わることができました。

先述のとおり、4回当てると台を替わらなければならなかったのですが、負けてる時は「おい、次打つか」とヤクザなおっちゃんが声をかけてくれたり、あるいは逆に「これで終わりやろ。次、回してくれや」とタバコを渡されたり、いつも常連同士で譲り合いというか助け合いをしてましたね。客層は香ばしかったけど、鉄火場という感じでもなく、ほんわかしてました。

あと、デジパチコーナーにマルホンの「パールセブン」があったんですが、「連続回し中に限って出目移行に規則性が生まれ中デジタルに停止する数字がわかる」という特性があり、よく隣で打つおっちゃんおばちゃんの台の当りハズレを予言して「なんでわかるん!?」「超能力でもあるんか!?」と驚かれたものです。

パチスロのバニーガールは、1回交換ゆえのメリットもありました。

このマシンは、BR両ボーナスに加えてフルーツ(小役集中)があるんですが、継続ゲーム数が5Gと60Gの2種類があり、ビッグ終了直後は後者が選択される割合が高かったのです。でも、いまと違って雑誌メディアが一般に浸透していなかった当時、それを知る人はN店はほとんどいませんでした。

ビッグ終了後に即ヤメした台があれば、とりあえず打つ。で、目論見どおりフルーツに入り、そこからビッグに繋がる…みたいな感じで、オイシイ思いをすることも少なくありませんでした。

…と、ここまで書いたところで、「…あ」と気づいたことが、ひとつ。

「そういえば、初めてパチスロを打った時のことを、まだ書いてなかった」

そんなわけで次回は、パチスロを打つきっかけとなった「出来事」について書き綴りたいと思います。
では…再見!!