この機種が登場したのは羽根モノの停滞期。たぬ吉やファインプレーを最後に、一時羽根モノの新台が出なくなっていた頃でした。
メディアでは「羽根モノ復活!」なんてキャッチフレーズが載ったものです。

第一印象は「パンクするな、辛いぞ」という感じ。
デジパチを主戦場にしていた関係で以後は触ることがなかった自分が、また打つようになったのは攻略法の発覚から。継続率が上がる打法です。

基本的にハネ開放の偶数回だったか奇数回目はヤクモノの磁石に玉がつかないので、そこを外して2個打ちするだけ。
今だったら「こんなことも気づかないのか」と自己嫌悪になるところですが、当時はあんま物を考えてませんでしたからねえ。
「こりゃあ、いいや」と近所の店から何軒かをピックアップして打ってました。

効果はクセにもよりますが(もともとクセがいいと継続率自体が高いので、効果も小さめになる)、あるホールでホールコンピューターを見た店員さんが「平均400個の大当り出玉が700個になってる!」と驚いてました。
ちなみに、そこはポチがジグマ生活を始めた店で、その店員さんは自分も知っていたから、正直に教えてくれたんでしょうね。

あの時は数カ月楽をさせてもらったなあ。
定期的に釘が動く店を見つけて(1台シマると別の台が1台アケられる)、打ち方+台選びの効果は時間7千円とかになったもの。
すでに抜き過ぎたら終わるのは学習済みだったこともあり、朝から行って4時間ほどで仕事は終了。浮きを3万円の手前で調節して毎日手堅くやれましたよ。
後半戦は気分次第で、打ち止め制のホールが終日無制限になる日に参戦したり(大谷たかし君もやっていたらしい)、時間の制約がない打ち止め制の店で数千円~1万円を拾ったりもしました。

1軒目で終了した後は打ちに行かぬ日も多く、ハンディタイプのMTR&マルチエフェクターであるZOOMの「PS―02」という機器を購入して、自分でカラオケを作ってアドリブソロの練習ばかりしてたっけ。
自分史上一番速く指が動いた時期かもしれません。余談で失礼。