この機種が出たのはまだ2004年、デジパチの内規が変わり、初当りの下限が500分の1になった時です。
大ヤマトがギリギリの約500分の1で確変継続率を7割前後にしたのが大きな話題になったのを覚えています。

この機種はそこまで初当りが重くはなかったのですが(431分の1)、「ええ~、2回ループ時代並じゃん」とビビリながら実戦したものです。
実際、当時連載していた必勝ガイドの日記では、回るのに打てども打てども結果が出ずのモヤモヤを、週間ラストの10万コースでやっと浮きにもっていけた過程を数日まとめて掲載しましたし。

この機種には印象深い点が二つ。
☆一つは右打ちで回せる店があったことです。
当時保険で使っていたワニざんす(とにかく客がいないので、いつでも座れた)の店で、「誌面で扱ってみよう」と決めて打ったら、当たってから回りが今イチ。
ダメ元で右を試したところ、これが大成功。千円で30個後半になったのです。

まあ、それでもこのタイプの荒さはなかなかのもので、2万個の持ち玉を見て遅番の店員さんが「今日こそ出ましたか?」なんて喜んでくれるのに、「いや、まだマイナス」なんて済まなそうに答えるとか…(汗)。

もう一つは、マーク屋さんの存在。
この機種の後から誌面に店名(それまではアルファベットで必ず入れていた)と台番を載せていたのですがねえ。
ある日、別の機種をやっていると(当時から同じ台を追い過ぎると釘が潰れる程度の知恵はあった)「おそまつ君の例の台をやっている人は安田さんの知り合い?」と聞かれた。
「いや、知りませんよ」と答えて見に行くと、別の店で見た顔が…。

いや、いいんですよ。書いた方が悪いんだし、換金率が東京では珍しい店だったから、調べるのが簡単なのは事実。誰も打っていない台に座るのは全くの自由。自分に文句なんて一切なし。
ただ、あの頃は他でも同じ打ち方をできる台なんていくらでもあり、それを放棄する打ち手を作るのに嫌気がさしたのです。
「自分が書いているのは、そんなに応用がきかないことなのか?」とね。
たしか「田山さんを見習って店も台も明かしてきたが、俺はここで脱落だ」という意味の心情も日記には添えました。

自分が「考えること」を旨としているのは、現場の経験以外にもそういう事象を数多く経ているからなのです。

万年釘の海で
「わかったよ、その台を俺は一生触らないから、俺のケツを狙うのだけは勘弁してくれないか」
「う~ん」(明らかに不満そう)
(コイツ一生俺の選んだ台で打つつもり? わしゃあ、鵜飼の鵜か!)
その店は捨てました。
そんな経験をしたことありますか(笑)。