もう随分と長いことパチンコ・パチスロに触っていません。

私が最後にパチンコ店に足を踏み入れたのは3月16日。しかもこの時は、パチスロ必勝ガイドMAXで連載中の「浮草家計簿」のネタ拾いのために約1ヶ月ぶりに打ったのですがら、これを除けばすでに3ヶ月近くパチンコ・パチスロから遠ざかっています。私は令和2年でパチ&スロ歴が39年になりますが、こんな経験をしたのはもちろん初めて。それでいて、特にパチンコ・パチスロが恋しくなったりしないのは、この業界がこれ以上叩かれて欲しくないという切なる願いと、もしも新型コロナに罹患したら愛する家族を巻き込んでしまう危機感と、今のパチ・スロがあまり魅力的でないと考える冷めた現実と、どーせ打ちに行ったところで出玉はガチガチに違いないと予想する諦めが、複雑に絡み合って「今は打つべきでない」という答えに辿り着いたからだと思います。

…で、去る5月6日をもって、各自治体から出されていたパチンコ店への休業要請が一部解除され、特別警戒地区を除く地域のホールは営業を再開する準備を始めてるっぽいのですが(すでに自主的な判断で営業を再開しているホールもあり)、少なくとも私は政府が発した緊急事態宣言が解除されるまで打つことはありません。それがパチスロライターの看板を掲げる私の責務だと考えますから。

 

ところで、私は不要不急の外出を避けて自宅に引き籠もっている間、主に読書(買ったまま読む機会のなかった本)や映画鑑賞(これまた買ったまま再生する機会のなかったDVDなど)で時間を潰しておりました。こういうのって昔から時間潰しの王道ですね、ええ。

 

そんな中、「幕末-その常識のうそ/北岡敬」という非常に面白い本に出会いました。

時は安政五年(1858年)。外国船員からコレラ菌が日本に持ち込まれて、人々がバタバタと死んでいった頃の話です。当時、コレラ(コロリ)など江戸庶民にとって見たことも聞いたこともない伝染病で、もちろん本道(いわゆる内科)の医師にも対処のしようがありませんでした。

 

そう、まさに現在のコロナ禍と同様のクラスター(集団感染)が発生していたんです。以下は、その様子を伝える瓦版(かわらばん)。タイトルは「ないものづくし」です。

 

さてもないない是非がない 病の流行止めどがない

一っときころりであっけがない 八つ手をつるさぬうちはない

誰でも死にたい人はない それでも寿命はしかたがない

医者の駆けつけ間に合わない せわしいばかりでれいがない

按摩は夜昼ひまがない 急病見舞いは放図がない

臆病そばへ寄り付かない にんにくいぶさぬうちはない

鰯の安売り買い手がない 水屋は水道をなぜ汲まない

屋台の立喰いしてがない 諸人の顔色つやがない

葬い昼夜とぎれない こしやのかけ値は値切らない

焼場のつけこみ埒明かない 白無垢損料安くない

お寺も納所も寝るひまがない 穴掘りおやじはせわしない

戒名つける文字がない 亡者葬る地所がない

 

ないものはない…とばかりに、あれこれ挙げていて面白いけど、実はこれって痛烈な政治批判記事でもあるんですね。それは、この項目の一つ一つを読んでもわからない。というか、ここにないものは何かを考えると、この瓦版の著者の意図が浮かび上がってくるんです。

そう、ここにないものは「時の幕府の策」。著者は、コレラの蔓延に対して無為無策でいる幕府を批判したかったんです。ないものづくし風に書くなら、「今のお上にゃ策がない」。あるいは「何がないとて知恵がない」となるでしょう。だけど、それを書いたら大変です。

 

現在のコロナ禍において政府の対応を批判する人は多いですし、かくいう私も安倍内閣に対して言いたいことは山ほどありますが、もちろんここで言うつもりはありません。

ただ、そうした声を上げて不当な罰を受けない日本、自由のある国はいいな…と、あらためて思ったんですよ。おそらく、中国や韓国の人たちは、思ったことを口には出せないのだと思います。だからこそ、時として日本人の常識からは考えられないようなニュースが流れてくる。そういうお国柄だと言ってしまえばそれまでですけど、少なくとも言いたいことを言える日本国民はまだ幸せだな…と。だから新型コロナの終息まで、もう少し不要不急の外出を我慢しましょうよ。

なんか今回は、かなり回りくどい話になっちゃいましたけど、私はそう思ってやまないのです。ちなみに、政治的な発言ではないので悪しからず。

 

2020.5.10 AM4:38 記

引用文献「幕末-その常識のうそ/北岡敬」鷹書房弓プレス