彼らはまだ二十代だったよな。不思議な縁がありまして、親子ほど歳の離れた若者の輪に混ぜてもらう機会があります。

その中心人物は、現在パチンコメーカーに勤務しているR君。『トロピカーナ(5号機)』のコアな質問をいただいたのがきっかけなので、2012年の暮れあたり。もう8年近くも経つのか。あまりにも良い質問すぎて「右1stベルの取りこぼしまで確率高いよね〜」なんて話まで発展。

当時R君は地方でスロゲーセンの店長をしていましたが、東京に遊びにくると飲みに行くようになり、そのうち「パチスロライターになりたい」と言い始めます。現行の機種に対する知識だけでなく、小学生のときに『大花火』の実機を購入するキャリアと愛情の持ち主です。メディアに入るのも続けるのも、厳しい世界だということは百も承知だったでしょう。ひと肌脱いでやろう。そう思うのが先輩というものではありませんか。

 

当時はまだメディア間の交流も少なく、私は777@niftyというインターネット会社のパチスロサイトが主戦場でした。ちょっと特殊といいますか、他のメディアとは一線を画しているような媒体でした。そんなところにいる引きこもり系ライターが、紹介しあえるような環境ではなかったのです。そこで、それぞれの雑誌のベテランとも仲の良い方をまず紹介するところから始めました。

そうしたらですね。その方はパチンコ・パチスロの開発関連会社に勤めていて「ウチの会社も若手を探していたので来てもらうことになりました」と(笑)。かなり端折りますが、そこから業界内転職をして現在はパチンコメーカー勤務ということになります。いまでは私よりも難しい言葉を駆使しています。

最初に出会ったころR君は二十代前半。その間に、彼と同世代の若者を二人紹介されました。この二人も凄すぎます。一人はパチスロの知識だけでなく探究心も半端なかった学生さんで、現在は希望通りパチスロの開発職となっております。そしてもう一人が、元『パチンコ必勝ガイド』の大川冬馬さんでした。

「古くからの友人がライターになったので一緒に飲みましょう」そうR君に誘われたのが最初でした。実機配信かゲームで知り合って、まだホールで打てない年齢のころからパチンコ・パチスロの話で意気投合していたのだとか。「え? パチンコなの? 私のパチスロ話に余裕で付いてこられるのに」というのが第一印象。スロゲーセンで待ち合わせましたが、2号機を模索しながら打っていたのを思い出します。

このあたりは、どこか違ったら大川冬馬さん本人から訂正がくるでしょう。

ガイドのライターを辞めて麻雀プロの修行を中心にしていますが、顔を会わせるたびに「もったいない」と言い続けていました。若くしてパチンコとパチスロの両刀いけるのは正直羨ましいです。もちろん、知識や考え方も素晴らしいものがありますよ。そこはR君の友人ですから当然です(笑)。

そこで、僭越ながら悠遊道に紹介させていただきました。麻雀プロとして発信しようと思う際にも、定期的にきっちり書いていなければ文章って錆びるもの。元ガイドで安田さんとも面識ありますし、パチンコ・パチスロへの愛情と真剣さを持ち合わせ、かつ穏やかな人柄もサイトの空気感に合っているかな〜と。現在裏方さんたちと調整中ですが、そのうち登場してくれるかと思います。お楽しみにって、私が一番楽しみにしているかもしれません。

R君の結婚式以来に会ってパシャリ。