「恩人Tさん 前編」

 パチンコで食い始めて、そろそろ30年。誰かお祝いしてくれないもんかねえ。いや、裏を返せば人様の役に立たずにそれだけの年数を過ごしてしまったわけで、むしろ非難されそうだ。前言撤回です。

 しかしまあ、最初の頃は認識が甘かったなあ。学生時代にバイト代わりにしていた経験で、「羽根モノなんて出る台を打つだけだろ」と嘯いていたのだけれど、当時ネグラにしようと試みたホールは、釘が毎日変わる。というか、どんどんシマってまた週明けにアケられていた。

 「開放台」(店が定めた定量個数になり、一度遊技がストップされるのを打ち止め~それを再度お客さんに遊技させる状態にした台のこと)を目安に台選びをしていた学生プロが、朝から行ってもその目安が無いのだから、そりゃあ勝てないって。

 当日の実績が見えてきてから、開放台で収支は挽回できるのだけれど、それでは食うのは無理。
 で、遅まきながら「俺ってパチンコ下手だったんだなあ」と悔いる始末だった。

 そのまま行ってたら、今はどうなっていたのだろうか? 考えるだけで恐ろしいっす。

 しかし、そんなボンクラにも素晴らしい巡り合わせというか、僥倖が待っていたのだった。
 彼の名前はTさん(工藤ちゃんのコラムの人じゃないよ)。当時最新台だった羽根モノの名機「ビッグシューター」で、大当りする度にわざわざアピールするように席を立ち、ハンドル固定のまま一顧だにせずドリンクを買いに行く、DCブランドっぽい真っ青なジャケットを着たお兄さん。
 自分はこの人にパチンコのイロハを学んだのでした。