「Kくんが亡くなった」

たいがー山本さんからの一報が入ったのは、2010年の年の暮れ、夜も更けてきた頃だった。

「えっ!」 絶句すると同時に、まだ若く長身で男前、フィギアの〇〇選手似の彼の事が走馬灯のように頭を巡った。

全く予期していなかった、ことでもなかった。

Kくんと初めて会ったのは、たいがーさん主催の大阪オフ会にて。

最初は打ち子をしていたが、そろそろプロとしてやっていきたいという彼。私も一肌脱ごうと大阪出張して彼に釘レクチャーなどをした。

左振り分けの所で左へ行った玉〇個、右へ行った玉〇個だったとか細かいカウントを欠かさないなどやる気は伺えた。しかし、彼と付き合っていたHさんによると、つい遊びの要素が入り、好きな台を打つ癖がついてしまう、と教えてもらう。

改めてアドバイスすると、自分はとりあえずバイトをするとかの選択肢はない。九州男児の心意気よろしく、いつでも飲む薬は用意している、と言う。

危機感を持った私は、大阪在住の知人のプロへフォローを依頼。すると、カンカンに怒ったKくんではあったのですが・・

それから1年後、「Hさんが是非会って話をしたいと言っている」とたいがーさんからオフ会参加の依頼が。

全ての事を取りやめて参加したオフ会では、当然のようにKくんの思い出話で終始する。そして話の流れで「こちら山陰に来て連れパチしてもらえれば、絶対に勝たせます」と大きく出た私。

これが4か月後に実現。 わざわざ遠方よりこんな田舎にご友人と共に女性お二人がお越しになる。

この弔い合戦だけは、どうしても負けるわけにはいかない。

絶対に勝って、明るい気分で帰っていただく!

既に実践機種は決まっている。 もう1年近く同じ機種ばかり打っていて圧倒的な成績は維持できている。

地域唯一の貯玉店にて無尽蔵と言えば大げさだが、十分な玉はある。

Xデー(連れパチ実践日)の1週間前からは仕事帰りに連夜、30台あるスーパー海物語の中でベストの3台を捉まえるため、下見を繰り返す。

この下見に遠慮は無用。まさにじゃぶじゃぶ。

日々チェックで真っ黒になっていく自作の島図。

Xデーの前夜、到着されたお二人にホテルからパチ屋までのルートを案内、さらに正面入り口から目的の台までのルートを案内。

そして迎えた当日は、当然1番乗り。正面入り口に陣取り、やがてお見えになったお二人としばしパチ談義。談義をしつつだんだん近づく開店時間に高まっていく、何度経験しても慣れないこの緊張感。

そして10時。 「どうぞ!」の声と共に開けられるドア。 脱兎の如く、もとい早歩きの私。

予めお借りしていたハンカチで狙いの3台をキープ。

「段取り8割」が終了した瞬間だった。

特別コラム 全記事一覧はこちら