いまでこそ、ホールにおけるパチンコの主役といえばデジパチなのですが。私がパチンコを日常的に打ち始めた1989年当時は、デジパチなど射幸性の高い種別の台は設置割合の制限があり、どこのホールも「ハネモノの天下」でした。

当時、私がホームグラウンドにしていた最寄り駅前北口のJ店の場合、1列20台程度のシマが5×2ボックスあったのですが、記憶が正しければデジパチは2ボックスのみ。一発台と権利モノは1列ずつで、つまり残りの7ボックスすべてが、ハネモノだったわけです。

例の「ファクトリー」の対面には、三共の「ブロードウェイ」がありました。ハネがバニーガール風のおねーちゃんになってたり、大当り時の音楽がスウィングの効いたジャズ風だったり…と、文字通りブロードウェイの華やかなムードが漂ってましたね。文字通り工場を模し無骨さ満点なファクトリーとは対照的でした。ファクトリーと同様、V入賞のハードルは高めだけど当たればほぼ完走が期待でき、ファクトリーが芳しくない時は、よく打ってました。

貯留式ハネモノの元祖にしてロングランヒットを記録した名機、平和の「ビッグシューター」も、もちろんありました。上段ステージのローターの穴を玉がくぐりぬけ、下段ステージに落ちてきた瞬間のドキドキハラハラ感は格別でしたが、ファクトリーなどと比べるとパンクが頻発したため、当時はあまり好きではありませんでしたね。

J店に通い始めてしばらく経ってからの新装開店で導入されたのが、三共の大ヒット作「マジックカーペット」。すでに大阪市内などの他の店にはバンバン導入されていて、何度も打ったことがあるんですが。とにかく、初めて打った時は「Vゾーンが動く」というのが、めっちゃくちゃ衝撃的でしたね。いまと違って役モノの造りもユルいというか雑というか、精度があんまり高くなったもんで、台によってVゾーンの停止位置がビミョーに違ってたりして。それによって、クセの良し悪しを見極めたり、打ち方を変えたりするのが、楽しかったものです。

さてさて。通い始めた春頃は活況だったJ店のファクトリーのシマも、梅雨を迎える頃になると、だいぶよろしくない感じになってきました。さて、どうしたものか。新たな定席を、どこにしようか。7ボックスあるハネモノのシマを悶々としながら彷徨う日々が、しばらく続きます。

そんなある日のこと。新装開店で、ようやく腰を据えて打つことができそうなマシンが導入されました。西陣の「マッハシュート」です。当時、西陣からは、「RX-5」や「スペースファイア」、「桃太郎」などなど、回転体を用いたハネモノが数あり、どれも好きだったのですが、マッハシュートは少なくとも私の中では、その最高傑作だといまも信じてやみません。

役モノ上部でガバッと開くハネや、常時右回りしている10個の穴が開いた回転体などなど、三洋の「スタジアム」を彷彿とさせますが、役モノ下部に据えられたドットデジタルによる(いま風にいうところの)ビジュアル演出が、非常に斬新でした。

マッハシュートは、とにかくカタい台でした。理由はいうまでもなく、回転体にV入賞口があり役モノの個体差による影響が非常に少なかった…つまり、純粋に鳴きと拾いさえ良ければ、何とかなったのです。たぶん、いまだったら一発で止め打ち攻略されちゃう…というか、たぶん当時も、止め打ちで手堅く稼いでいたプロが、いたと思います。自分は…まぁ、面倒臭くてやんなかったのですが。

そうそう。J店でマッハシュートを打ってて、ちょいちょいこんなことがありました。先述のとおり、役モノのクセがほとんどないため、ジャストミートなタイミングで役モノに入った玉は、ほぼ確実にV入賞します。ところが、「よっしゃ、来た!!」ってタイミングで、回転体に落ちるはずの玉が弾かれることがあるんですよ。シマが、ドーンと揺れて。

犯人は、マッハシュートの裏側、一発台の「スーパーコンビ」のシマにいました。ええ、そうです。いわゆる「ドツキ」ってやつですね。「こら。おれのV入賞を返せこら!!」とブチきれたいところなんですが。なんせ、500円硬貨を積み上げて昼間っから「豪遊」している人たちですからね。フツーじゃない人ばかりです。誰も文句はいえませんよ。

まぁそんな感じで、店員も客もパンチが効きまくった当時のパチンコ店でしたが、ハネモノ主体でのんびり遊べた、いい時代でしたということで。

次回は、デジパチに関する思い出話でも。

では…再見!!