1991(平成3)年1月。私は生まれ育ち住み慣れた関西を離れて東京へ移住し、新たな生活をスタートさせました。

これまでにも書いてきたとおり、当時の私はプロデビューを目指して音楽活動に明け暮れる日々を送っていたのですが、一向にその目処が立たず悶々としていました。

正直、大阪を拠点とした活動に煮詰まっていたというか、限界を感じてたんですね。そこへ、東京の知り合いのバンドから「ベーシストが脱退するから入らないか」と誘いがあって。それで、最後の望みを賭けてみたわけです。

さて、それまでにもライヴツアーなどで東京へは頻繁に足を運び、色々と楽しい経験もして刺激をもらったりしたんですが、いざ根を下ろして生活するとなると、だいぶ話が違います。

家賃が関西と比べてベラボーに高いのが、いちばん頭の痛い問題でしたね。練馬区の西武線桜台駅徒歩1分のところのロフト付きワンルームアパート(つい最近、手抜き工事で大問題になったなんちゃらパレスです)で暮らし始めたんですが、確か7万4千円だったかな。

練馬とか板橋なら、探せばもっと安いところもあったんだろうけど、その部屋は元々、彼女の妹が彼氏と住んでたところで。敷金とか礼金に充てるためのまとまったカネもなかったもんで、タイミングよく世田谷の方に引っ越すというので、名義そのままで居抜きさせてもらうことにしたんです。

とにかく、家賃が大阪の頃と比べて倍近くにも跳ね上がってしまったもんで、大阪にいた頃のように彼女の収入ばかりを頼りにするわけにもいかず、私もきちんとしたバイトを始めることにしました。

というか。件の東京のバンドに誘われた際に、すでにメンバーから「きみにぴったりのバイトを紹介するから」という約束を取り付けてたんですけどね。さすがに何のアテもなく、行き当たりばったりで東京へは移住できませんから。

で、そのメンバーから紹介された「きみにぴったりのバイト」というのが、パチンコ店を専門とする掃除屋さんでした。

夜、営業終了後のホールに出向いて、床を洗ってワックスを塗り、タバコのヤニがべったりついた壁や天井やガラスを磨いたり…まぁ、ざっくり言えばそういう仕事です。

掃除屋の仕事自体は。過去に某頭文字Mなハンバーガーチェーンで同様に深夜の清掃業務をやっていた経験もあり、抵抗みたいなものはありませんでした。むしろ、知られざる閉店後のホールの裏側を垣間見られるということで興味津々、とてもワクワクしたもんです。

まぁ、「裏側」といっても我々が立ち入ることができるのはホールとバッグヤードの一部に制限されていたんですが、はじめて店長さんがハンマーとゲージ棒を使って「コンコン」とクギを叩いているのを生で見た時は、感動すら覚えましたね。

パチスロにモーニングをセットしている場面にも、よく遭遇しました。セットする台だけドアが開いていて、怪しげな小さな機械が繋がれていて。リールが回るタイプと回らないタイプがあったんですが、後者の方だとリールが回っていないのに実際にプレイしているのと同じようにコイン投入→スタート→リール停止→払い出しという一連の動作に応じた効果音が流れるんですよね。端から見てると、かなり不気味でした。

後年、当時の話を後輩のライターなどにすると、「モーニング台を覚えておいて、翌朝に取りに行ったりはしなかったんですか」といったことをよく訊かれたりしたんですが、さすがにそれはやりませんでしたね。

万が一、バレたりしたらバイト先の会社にも迷惑がかかるし、そういうズルをするのもなんか後ろめたかったし。まぁ、そもそもモーニングをセットしている現場の店が総じてうちから遠かったというのが、いちばんの理由なんですけど。

ところで、1991年当時のパチスロといえば、全国的に裏モノが大流行していて、「連チャンせずはパチスロにあらず」とまで言われていました。また、様々な攻略法が発覚し創刊したばかりのパチスロ必勝ガイドの誌面を賑わせていました。

そんなご時世にあって私は、閉店後の深夜のホール内で興味深い「モノ」や「場面」に、幾度となく遭遇することになります。次回は、その辺りのお話しを。

それでは…再見!!