お久しぶりです、北海道のガリぞうです。
安田さんから再び統一テーマコラムのお話を頂き、誠に光栄に思います。

お題は、自分を作り上げたパチスロ4選。
「作り上げた」と言われても人としては48歳ながら発展途上もいいとこですが、パチスロ歴は31年(そこ、計算しないように)とそこそこ長いので、「スロッターとしての」を頭に付けさせて頂きます。

~スロッターとしての自分を作り上げたパチスロ4選~

1.パルサーxxΣ(1.5号機)

大学受験で田舎から札幌に出てきたガリ少年。
しかし、受験内容に全く手応えが無く、落胆していたのでしょうか。
札幌へ出てくる際に両親から渡されたお小遣いの残り1万円を握りしめパチンコ屋に入り、明るいフロアの一階から階段を降りて薄暗い地下のパチスロコーナーへ。
この頃はスタジアムや安来名人・マジカペ等の羽根物を既に田舎で打っていたので、もっとやさぐれたい自傷行為に近い感情が私を未踏の地へ誘ったと思われます。

おもむろに筐体前へ腰を据えますが、操作方法さえ分かりません。
その機種は、驚くほど細い三本のリールで、クレジット機能もなくボーナス中もコインを手入れで消化するノーマルタイプの1.5号機「パルサーxxΣ」でした。

周囲の見様見真似により操作方法はおぼろげに理解できましたが、どこでコインを買うのか分からず店内を徘徊。
すると、シマの外に貸出機がありました。
50枚のコインを買い、台に戻って打ち始めます。
(この頃はコインを「買っていた」と思っていたので、当時の感情のまま記します。)

リールを回転させると図柄など全く見えませんが、左リールは定期的に濃い塊が降ってくると分かったので、これにタイミングを合わせて押すと、それは「スイカ・BAR・7」の配列でした。
これはしっかり狙えばボーナス図柄が揃うのだろうか……そう思い、狙い続ける事7千円。
ようやくBARが揃います。
が、ボーナスの消化方法も分からず手間取ります。
すると、七夕の短冊よりも細くて長いレシートを手元に何枚も置きながら打っていた隣のおじさんが「ボーナス中は1枚ずつ入れてボタンを一回押すんだよ」と教えてくれ、その通りに消化。
ジリリンと大きな音を立てながら100枚程度のコインを獲得しましたが、当然のようにあっさり全ノマれ。
この頃から私はビビリだったのか、残金的に臆して撤退でした。
これが私の初打ちです。
後に知る有名な言葉「ビギナーズラック」は初見であっさり否定されました。

その二か月後。
当然のように不合格が決まり、予備校へ通う為に入居した下宿で浪人生活がスタート。
この下宿の先輩で仲良くなったパチスロに詳しい富樫さん(仮名)の存在が、私の人生を大きく変える事になります。

2.バニーガール(2号機)

浪人生活が始まるも、やはりパチスロの魅力にどっぷりハマっていた私。
予備校よりもぱちんこ屋に足を運ぶ日数の方が多いという、大が三つつくほどの親不孝者でした。
毎週月曜に振り込まれる生活費7千円を握りしめ、近所のホールに設置されているパルサーxxΣや、ニューレッドサン・ニュースターダスト2で負けに負けていました。

ちなみに、当時からぱちんこを避けていた理由は田山さんにあります。
この頃は既にパチンコ必勝ガイドを購読していて、田山プロの「パチプロ日記」の熱心な読者でした。
「たぬき丼」で日銭を稼ぐ田山プロの記事を読み、ぱちんこは運不運じゃない事を知りました。
「技術や目利きがなくても運で戦えるパチスロなら勝てる事も増える?」
そこまで考えていたかどうかは定かじゃありませんが、パチスロばかり打っていた事は事実です。

そんな負け続けの日々を送っていると、富樫さんからアドバイスを受けます。
「闇雲に勝負するならパルサーより完全確率の機種が良いよ」と。
富樫さんに連れて行かれたホールで座った機種は、クレジット機能が搭載された次世代の2号機「バニーガール」でした。

いつも通り毎ゲーム7を狙って消化していると、偶然にも即7が揃い、心臓が飛び出るかと思うほど強烈なファンファーレが鳴り、BIGボーナスがスタート。
このBIGを消化し終え、少し回したところで小役が5ゲーム連続で揃います。

富樫さん「次も小役揃ったらロングかも。」

何を言っているか分かりませんが、引き続き7を狙って打つとやはり小役が揃います。

富樫さん「危ないっ! これ60ゲーム続くかもしれないのにBIG揃ったら終わっちゃうから7は避けて打たないと。」

何を言っているか分かりませんが、私にとって富樫先輩はパチスロの先生なので、その通りに打ちます。
と言ってもボーナス図柄の目押しは右リールしかできないのですが、その後もボーナスや小役が揃いまくり、出玉がモリモリ増えていきます。

今思えば、パチスロ依存症だった私に「適度に楽しむ遊びです」を教えるべく富樫さんは手を焼いていたんだと思いますが、この日は自身最高額となる+5万円の快勝。
この正しい道筋じゃない完全なる運勝ちと、その後も富樫さんからの優しく上手なご指導が、私をパチスロ依存症のさらなる深みにハメていきました。

3.クランキーコンドル(4号機)

ボンクラ予備校生のガリ少年は当然のように大学にも落ち、専門学校を卒業して就職。
3号機時代はパチスロから少し遠ざかるも、ロクデナシ人生はまだまだ続きます。

私は小さい頃から母親に「あんたは発想力が長所だからどこかの会社の企画部に入りなさい」と何度も言われるほど想像外のイタズラをしでかすやんちゃ坊主だったようで。
そんな発想力が営業力につながったのか、就職した全国チェーンの携帯電話の営業会社でガリ青年は二か月連続で東日本トップの成績を収めました。
ここでもガリ青年は大きな勘違いを起こし、「これなら一人でもやれるわ!」と、会社を辞め仙台に居を移して自営業を始めます。
しかし、営業と経営が別物だと知った頃には時既に遅く、取り返しがつかないほど大きな借金を抱えていました。

部下が起こしたクレーム処理でお客さんに呼び出され、「うちの社長に会って謝ってくれ」と車に乗せられマンションの一室に入ったら、そこは任侠系の事務所だった事もありました。
そして、「そっち系は俺に任せておいてください」と部下の藤井さん(仮名)に言われ、翌日には私を事務所に連れ込んだ強面の方が何故か菓子折りを持って謝罪に来て、不思議に思い尋ねたら藤井さんは元々某有名組織から足を洗ったばかりで当時の兄弟達に伝え裏から手を回したと判明した事もありました。
他の社員の横領で心を痛めた事もありました。

自営業時代の話はまたの機会にするとして、そんな怖い思いやツラい出来事を味わいながら抱える借金は心を病ませるに十分なようで、簡単な計算さえできなかったのでしょうか。
既に勝ち方を理解していたパチスロで少しでも借金を返済しようと、休日には朝イチから夜までクランキーコンドルを打つようになりました。
今思えば、コンドルを打つ時間も仕事にあてていたら巻き返せていたかもしれないと反省しています。

設定1で105%(小役完全回収で約106%)のクランキーコンドルを休日に藤井さんと並んで打つ私。
小役狙いやリプレイハズシで私がドル1の出玉を作った頃、ふと隣を見ると藤井さんが斜め上の天井を睨みつけています。
何をやっているのか聞くと、ハマリがキツいので当ててもらうよう防犯カメラを睨んでいたんだとか。
確かに私もそういう時期が長かったですが、こうしてカメラを睨むという勝つ為の間違った努力よりも、ボーナスの出玉やコイン持ちを良くする為にやるべき正しい道筋があると今の私なら諭すでしょう。
しかし、その時は藤井さんに何も伝えずじまいでした。
何故なら、既に私は500万以上の借金を抱え、自営業を諦めかけていたから。
心の中では諦めていながら、好きな女性と一緒になる為に極道から足を洗い私の会社に最後まで残り頑張ってくれた藤井さんに「もう辞めます」とは言えず、ダラダラと会社を続けてしまっていただけだから。
器の小さいガリ青年は、罪悪感が芽生え始めている藤井さんから逃げたかったのでしょう。
この時の激しい後悔が、「パチスロの勝ち方を伝える事で誰かの役に立ちたい」という今の私を形成したのかもしれません。

結局、自営業は半年ちょっとで解散。
多くの方々に迷惑をかけ、カローラセレスの車内一杯に荷物を詰めて、当時の彼女とガリにゃん(猫)と私の三人で仙台から北海道へ逃げ帰ってきた情けなさは今も忘れません。

4.クランキーコンテスト(4号機)

500万の借金を返すべく、不動産仲介の会社に就職したガリ青年。
しかし、当然ながら10万ちょっとの給料では返済だけで精一杯ですし、甲斐性のない私は彼女からも別れを告げられます。

そんな自暴自棄になった私の癒しは、やはりパチスロでした。
土日に現実逃避で入ったパチ屋にて、クランキーコンテストで減算値判別をかけて設定6を二日間打ち、何れも+5000枚の勝ちを収めた時に「不動産仲介じゃなくパチスロで返済してみようか」と決めました。
今思うと若いなぁと感じますが、当時は真剣だった記憶があります。
そんな話を彼女に伝えるも、当然のように聞く耳は持ってもらえませんでした。
そりゃそうでしょう、私だってそうなります。
それでも、失いかけている彼女と、失いまくってマイナス500万にまでなったお金を取り戻す為、少しでも多く勝つ為にオリジナリティの強い努力が始まりました。

通常時の左上段鳥を毎ゲーム一周で止められたら時間効率も上がるけど、何故止まらないんだろうか。
なるほど、右リール枠下・枠2つ下に鳥や、中リール上段・中段にスイカ付き赤7が止まっていると次ゲームは1周で止まらないのか。
だったら通常時は極力それらの出目にならないように打てば、より素早く打てるんだな。

ならば、これをBIG中にも活かしてみたらどうだろうか。
BIG中にハサんで小役トリプルテンパイから上段で揃う特殊15枚役「鳥・(スイカ付き)赤7・赤7」で取るよりも、同一フラグの下段でテンパっているスイカで15枚を取ればBIG中も一周で止まるじゃないか。
これでBIG消化も早くなるっ!

BIG後80G以降じゃないと判別ゲームが訪れないと攻略誌には書いてあるが、はたして本当にそうなんだろうか。
加算値と減算値をゲーム数別・払い出し枚数別で計算してみたら、80G以内にも所々で判別ゲームがたくさんあるじゃないか。
だったらコレを覚えて枚数調整しながら打てば早くに見切りをつけて判別できる台数も増える!?

小さい頃から母親に口を酸っぱくして言われた「想像力・企画力を活かした職業に就きなさい」が、ようやくプラス要素につながった瞬間でした。
その後、こうした当時の雑誌に載っていない攻略情報を個人ホームページで発信すると、各出版社や代理店からお仕事を頂き始め、当時の別れかけていた彼女とも寄りを戻し結婚して今現在に至ります。
富樫さんや藤井さんは連絡先どころか今どこで何をしているかも知りませんが、逢う事ができたなら「あの頃は本当にお世話になりました、そしてご迷惑をお掛けしました。」と伝えたいです。

以上で私のパチスロ4選は終了です。
何だか長くなってしまいましたね。
しかも「スロッターとしての自分を作り上げたパチスロ」を語るつもりが、書いている内に「私の人生を作り上げたパチスロ」になってしまった気がします。
そもそも人生を語る場などあまり多い訳でもないですし、また機会がありましたら今の私を形成したロクデナシ人生について悠遊道でお話しさせて頂けたらと思います。

 


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