んんんん・んーんんー♪の大岡越前でおなじみの俳優、加藤剛によく似た父親は、高知の田舎町で、まじめな郵便局員と結婚する予定だった19歳の泉ピン子似の母親を略奪し、横浜で所帯を持って、母が21歳の時に私が生まれました。
男を顔だけで選ぶとロクな事がないという見本です。父親は「のむ・うつ・かう」の三拍子(のちに体を壊したのでのむはなくなりましたが)に、強烈なDVをまぶした、それはそれは絵に描いたようなロクデナシでした。母親は美容師でしたが、親父は典型的ないわゆる「髪結いの亭主」だったのです。
暴力に満ちた生い立ちの中で見たものは、母がおじいちゃんに結婚祝いでもらった大島紬を質に入れ競艇へ行ったり、タンスの鍵を壊して生活費をすべて奪っていき、入院すれば看護婦に、近所の主婦たちにも軒並み手を出しまくり、我が子は一度も連れていかなかった遊園地に、彼女たちの子どもを連れていきました。
耐えかねた母と家出をした夜、鍵がない父親は窓を蹴破って中に入ったようで、その際に足をガラスで切ったのか、廊下に点々と乾いた血の跡があって、数日後に帰宅して震え上がった事を覚えています。
父親はモテ男でした。パッパ・パヤッパとクールに他人の関係を歌う美女・金井克子のファンでした。なぜピン子と結婚したんでしょう。この辺りが何かの分野のテーマになりそうな気もしないではありません。結婚てなんでしょうね。
ロクデナシのくせに超封建的で、食卓は恐怖のみで支配されています。団らんという丸くあたたかなものからほど遠いそれは苦痛でしかありませんでした。急に味噌汁のおたまで頭を殴られてコブが出来ました。何もしていないのになんでと驚いていると「手で殴ると手が痛いからおたまにしたんだ」という意味不明の鬼台詞を娘の私に平気で怒鳴る人でした。泣くと怒られるので泣かずにいたら、可愛げがないと殴られました。今ならくだらねえ。くたばれやと言えますが、ガキでしかなかった私は「どないせえっちゅうねん」と思いはするけれど、子どもってだけで非力でした。非力でした。
なぜピン子がギャンブルを毛嫌いし、私もこんな年になるまでパチンコを打たなかったのか。それはこのロクデナシという名の親父のせいです。
しかしパチンコを憎んでいたわけではありません。
ある日、父親が私に車に乗れと言い、私は「とうとう川の下に捨てられるのだ……」とある種の覚悟めいた気持ちでおりましたが、着いたのは大きなパチンコ屋さんでした。他にも書かれている人がいますが、当時は子どもたちもホールに入る事ができ、どこかしら牧歌的な風景が流れていたのです。
子どもらはいわゆる球拾い要員であったかと思いますが、店内は今のような大きな音はしていなかったように記憶しています。チンジャラ~といった鐘の音や、ぱちぱちぱらんぱらんと弾く(当時は昭和物語よろしく指で弾いていたのです)音がして、乾いた空気の中、煙草の煙が揺れる大人の世界と、他にもホール内で遊ぶ子どもらがおり、はしゃいでも注意を受けない子どもの世界が混同していました。床に寝そべって絵を描き「なあまっちゃんて言うん?」「これあげる」とぬり絵を交換したりしたものです。
ホール横に併設された小さな喫茶店で、生まれて初めてマカロニグラタンを食べました。衝撃を受けるとはまさにこの事。こんな美味しいものがあるんや!と感激したのをハッキリと覚えています。今から思えば、上にかかっていたのは粉チーズではなくパン粉であったろうし、特別なバターを使っているわけでもなかったと思います。たまたま父親も勝った日だったのか、マカロニグラタンは後にも先にもその1度しかありません。でも、それでも、私はあの味を、生涯忘れないでしょう。
お菓子がいっぱい詰め込まれた茶色い大きな紙袋。セブンスター。いつも厳しい父親がちょっと笑顔になり、友だちだけは大事にしろと言ったりしました。夕暮れ時。二人だけのドライブ。萎縮ばかりしていた私も助手席で足をぶらぶらさせ、開いた窓から外を眺めて「楽しかったなあ」と思ったものです。
パチンコと聞くと、今でもなぜかノスタルジックな思いが胸に迫ります。
しかしだからといって「昔はよかった」等と言うわけではありません。パチンコにまつわる事件をよく目にするからです。
どうか子どもを車内に残さないでください。ドアを閉める前に、自分のところに生まれてきてくれた我が子の顔を見てください。どうか無事にという祈りの中に生まれ、健やかな成長だけを願った事を思い出してください。
依存症の問題をどう解決するのか私にはわかりません。どうしようもない事があるって、この年だからそんなもうどうしようもない感じもわかります。燃え尽きたい、何もかも失っていいと思う心もわかります。
けど女房の、夫なら夫の働く姿を見てください。お金がなくなったら稼いでください。恋人、親、友だち、心から心配する人たちの、一瞬でも悲しい顔を見たなら、少なくともその日だけはパチンコに行かないでください。
プロや勝負師の厳しい世界を知らない私は、きっといつまでも「パチンコは遊戯だ」というスタンスです。
【画像あり】俺達のマルハン「子供の車内放置を見つけたら救出する為に窓ガラス割るかもしれんぞ」←かまわん、ぶち破れと話題にwwwww(パチンコ・パチスロ.com様)
なんて言っていいか・・・人生には誰しも何かしらのドラマがあると思うけど、まっきゃんさんもすさまじいドラマがあったんですね。
パチンコを憎んでもおかしくない環境の中、パチンコを好きになりライターとして、コラムを書くことになったのは喜ばしい事・・ですよね。
依存症は本人にもどうしようもないことと何かのアレでみたけど(←記憶喪失か!!)
これから気温が高くなる中、子供の車内放置がありませんようにと切に願うのでありました。
こんにちは、今回の記事は重く、深いものになってますね。
私もパチンコ依存の一人かもしれませんが、できるだけ人様には迷惑かけないようにしたいと思っております。
>ナミさん
あまりにも昭和なというか(笑)、昔ならありふれた話じゃないかと思います。
ナミさんがリツイートされた時に書いていたように、私も人生エロエロだったかもしれませんよ(笑)
ただパチンコに出会ったのがババァになってからというのは、良かったんじゃないかと思っています。
ブレーキがかけられる年齢であり、趣味として純粋に楽しめるというのもありで。
子どもはあらゆる意味で宝であるって事、もう一度全部の人間が再確認しなくてはいけないと思っています。
>キャベツ太郎さん
ヒロイックなというか、感傷的にグッと寄せた文章ですので(笑)どうしょーもないなと自分は思うわけですが、いつもコメントありがとうございます。
依存症に関しては程度があるんでしょうかね
キャベツさんがおっしゃっているように、ひとに迷惑かけてないなら、という部分は結構大きいですね。
心配や迷惑かけてる事に気づいてないってんなら、それはもう依存症以前の人間性の問題ですもんね(笑)
パチンコは楽しむもの。
恋愛にも似て、思うようにはいかないもの。
追いかければ逃げる?もの(笑)
楽しんだ方が勝ちかもしれませんね。
人生いろいろ
男もいろいろ
女だっていろいろ咲き乱れるの
お玉で頭殴られたっておやっさんのコラム、ずいぶん昔に読んだね。。覚えてるよ
お玉が印象的で
主人の父は、それはそれは昔の俳優みたいな良い男で、
「飲む、打つ、買う」の三拍子
主人の母は、京塚昌子さんのような大柄のでも色白美人だった。
「ほんとの浮気は、家から普段着でそれこそつっかけ履いてく時や。女の家に行ってくつろぐんや、タチが悪い」
と義母。アルコールが入ると手がつけられなくて、フランケンシュタインを大の男2、3人で押さえ込んでね、みたいな状態だったらしい。義母はの武器はスリッパ。あのような義父を殴れるのは義母だけでした。
ベンツ乗ってました。運転手付きで。
高額納税者一覧に乗るような時代もありましたが、気がつけば子ども10人と親戚、お金目当てに寄ってきた輩に喰いつぶされてました。本が書けます。
私の父は酒乱。母も長女の私も殴られました。
私は絶対に泣きませんでした。鼻血出しながら歯向かってましたから(w
55歳で死んじゃったけど。小柄ですがいい男でした。
良い男にロクなのおりません。
>ちゃこチャン
色々な人がいてるよね
ワシは水商売が長いからか、ホンマにいろんな人を見てきたで(笑)観察するには楽しい商売やね。
さすがに、出会ったすべてが素晴らしいとは言えないけれど、それは自分の基準の判断なだけでね
ヤバイ人にかて、愛する人がいて、その人からすればかけがえのない人なんやもんね。
どうしようもない人というのもいてますわね
性格(と呼ばれるもの)は、生まれ持ったもんに加えて、やっぱり「環境」やないかと思う。
どっちにも転ぶ
そう思うと、やっぱ人間て複雑な生き物やね
ただワシは、「虐待は連鎖する」が怖かった。だから子どもを持たなかった。
その選択に後悔はないけれど、家族のあたたかさを知らんのを「なんであたしが」と思った事はある。
恨んだって仕方ないのにね
ないものねだりいうんかね(笑)
花房家は佐藤愛子の「血脈」ばりや言うてたね
激しい家族のうねりがあったのやと。
語弊があるけど、悲しいね家族って。
あたしがなんであんなオカンでも捨てきれないのかを、去年考えた事がある。
親だからとかじゃなく、もっと昔の風景が浮かんできたよ
ハッキリと見える
そこには幼稚園のワシがいる
台所でオトンに殴られたオカンが、頭から血をボトボト流し、床に血だまりが出来ていた
頭は切れるとビックリするほど血が出るからね
ワシはガタガタふるえながら「お母さんだいじょうぶ?救急車よぶ?」と話しかけていた。
そこからワシは血を見ると気を失う人間になってしもうた(笑)
オカンにどんなひどい仕打ちを受けても、あたしは心の中で「おかあさんはかわいそうや」という気持ちが必ずあるということ。
それが家族ってもんなら、美しくもあり、かなしくもあり、やな。
けどもうワシらは大人で、自分で選び取っていける。
ちゃこちゃんは自分の経験から、立派な子育てをして、あたしはチャランポランだけど、それなりに頑張って生きてきた。
そんで、なんぼ愛しても、さいごは一人で死んでいく。
何やろな
何の話やろな(笑)
お互い本を書こうや(笑)
つって、簡単にいかんのが情けないワシやけど(笑)
私とおやっさんは、何かしら同じ匂いがする。
最近無性に色んなことを書きたくて。半世紀以上生きてた自分史の整理がしたくなってるのか
今まで心の奥底に封印してきた気持ちを文字にしてみたくなってる自分がいる、今なら書けると。
やってみたいね、おやっさん、2人で交互に生きてきたその時、その時を書いてくってのはどう?(w
お互い、書くには困らないネタ満載ですしね。黒歴史もありすぎて、それはそれで怖いっ!かも。
>ちゃこチャン
よく「ときが解決する」なんて言いますね。
身のちぎれるような想いも、やがて雪解けのようにって。
それは脳が耐えられない事から回避するために備わった機能やとか聞いた事があります。
どこかに書き残していくっていうのは大事やなって思う。
いつも思う事だけど、それを読んだ人の中に、たった一人でも「がんばろう」とまでいかなくても、何か感じたり、笑ってくれたらという気持ち。
ちなみにワシは黒歴史しかない気がします(笑)
ドンマイ,ワシ(笑)