私が初めてネット環境が整い、訪問したパチンコサイトはニンニンさんの「休日パチンコのすすめ」。もう20年近く前のことでした。

ちなみに、ニンニンさんは必勝ガイド「勝者に学べ」にも登場をされた私の先輩。そこで安田さんは、休日パチンコのすすめはサラリーマンの福音の書と述べられていました。

休パチの掲示板で、パチンコメーカー奥村の掲示板が盛り上がってることを知り、そちらにも訪問しました。

そこでは、かず、ろく、おちゃ諸氏3人の奥村社員のどなたかが必ずレスを付けられていました。

早くからネット環境を整えた論客が多く、奥村ファン同士のアツい議論が展開。私もいつしか奥村ファンになっていきました。

また、そこで告知される奥村製パチンコグッズが当たるイベントの当選率もかなり高かったです。

そして奥村ファンのたっての要望「奥村オフ会」が実現されたのでした。

 

2001年6月16日。車で名古屋まで馳せ参じ、繁華街のパーキングに停めた後、まずは大須にあるという奥村直営店モナコへ向かいました。

大須の商店街の中に昔から根付いた感じでたたずむ、昭和の香りがするモナコ店。設置の殆どが奥村機種ばかりだったことに感動しつつ、このお客の中に今日のオフ会の参加者もいるかも、と思ったり。

そこではサイボーグクロちゃんを打ち、運よく6連してくれました。

そして、オフ会というものに初めての参加であり緊張をしつつ、会場である近くの台湾料理店へ移動。

既に2人の方が親しげに談義をされており、挨拶をすると、ニンニンさんとヒートキッズさんであることが分かりました。

ヒートキッズさんは、その腕だけでなく業界の内情にも明るく、私にパチンコサイトを持ってほしいと言われたことが、じゃじゃもれ板開設のきっかけになりました。

その後も奥村掲示板で拝見をしたお名前の方々と対面を果たすことができつつ、いよいよあのかず、ろく、おちゃさんがご登場。彼らの上司であるすみじぃさんのご挨拶から始まったオフ会はかなり緊張してました。

その後の2次会では近くのボーリング場へ移動しボーリング大会。そこではおちゃさんのサウスポーでプロ並みの剛球を垣間見ることに。一応私は3位となりました。

帰りには、持ちきれないくらいの奥村グッズを頂きました。ちなみにこのオフ会は第2回まで開催されたと記憶しています。

私が好きだった千両歌舞伎やクールビューティなどで盛り上がった、ファンとメーカーが近い掲示板は他に無いものでした。

そして、奥村社員のおちゃさんと、掲示板の常連だったVさんがめでたくゴールインするというサプライズまで生んだ、この今は無き奥村とその掲示板。メ―カーの掲示板(良心)が生んだ最高のサプライズといっていいと思います。

奥村ファンつながりでその後いろんなオフ会に参加するきっかけにもなったこの「第1回奥村オフ会」。その後多くのパチ友ができた原点であったように思います。

 

■じゃじゃ流パチンコ川柳

「メーカーの 良心育む サプライズ」