「君はパチプロになりたいのかい? だったら悪いことは言わないから、こんなヤクザな商売をやろうなんて考えない方がいい。店からは煙たがられるし一般客からは嫌われるし、パチプロになって良いことなんてひとっつもないよ…」

伝説のパチプロ、故・田山幸憲さんの口癖だったと言われています。

 

田山さんの長期連載「パチプロ日記」を読んだ若者が、その生き様と人間的な魅力に惹かれて田山さんのホームグラウンドであるブクロのS店(池袋にあった山楽会館)まで足を運んだり、人によってはお酒の差し入れをしたりしていたのは非常に有名な話です。

田山さんはパチプロであり文筆家ではあるけれど、いわゆる演者やタレントではありません。パチンコの世界では「仕事中のプロの手を止める行為」を嫌う人が多いため、普通に考えたら実戦中の田山さんに話しかけるのは重大なマナー違反なのですが(それゆえ私は田山さんのホームグラウンドに押しかけたことは一度もありません)、田山さんはそうしたファンの方々にも快く応対し、気が合いそうな相手と認めたらお酒に誘ったりもしたそうです。

そんな時、よく冒頭で紹介したセリフを仰っていたようなのですが、私もガイド編集部の合同忘年会で一度だけこの言葉を頂戴したことがあります。というか、私が知るかぎり田山さんがガイドの忘年会に来られていたのはこの年だけで(98年12月18日・高田馬場にて)、ここでご挨拶したのが私と田山さんの唯一の接点。その後、2001年の7月4日に舌癌による心不全で他界されるまで、ついに親しくお話をする機会は訪れませんでした。まさに一期一会でしたが、私にも例の口癖を言ってくださったのは最高の思い出です。

 

※追記:リンクはこちら。私が2013年に書いたスロガイフラグのコラムです。田山さんに初めてお会いした時のエピソードを綴っております。正直、この時はすげぇ舞い上がっていたように思います。

 

 

そして、悠遊道の主催者である安田さんの紹介により、私も数年前から田山さんのお墓まいりにご一緒させて頂くようになりました。そこで多くの方に知遇を得たのも、ある意味で田山さんの導きなのかもしれませんね、ええ。

ちなみに、「最後の田山番」こと上中女史(元・パチンコ必勝ガイド編集部員)によると、田山さんのお墓まいりは毎年のように天候に恵まれていたそうです。過去17年間で一度だけ雨が降ったことがあるらしいのですが、それもお墓まいりが終わる頃合いを見計らって「いつまでもココにいないで、そろそろ店へ移れ!」と田山さんの指示があったかのように降り出したとのこと(注・この表現は上中さんが「田山組~お墓まいり勢~」の名前で立ち上げたライングループに書き込んだ文言そのままです)。それが、今年は久々にヒヤヒヤする展開ですね…な~んて感じで心配してたんですけどね。台風だかなんだかの影響で朝から冷たい雨が降りしきる中、集合時刻の午後3時前には何故だか小降りになり、分乗したタクシーで霊園に到着した頃には、完全に雨が上がってました。

 

「田山ジンクスは今年も健在でしたね」

誰かがそんな風に笑ってましたが、お墓とその周辺の掃除を終え、順番に墓前で両手を合わせ、末井さんの音頭で献杯すると、その瞬間に再び雨が降り始めるという、まるでシナリオでも書いていたかのような展開で、無事にお墓まいりは終了しました。

 

時計を見ると、すでに暗黙の了解の時間。当然の流れとして全員で居酒屋になだれ込むのですが、今年は私にとってまた素敵な出会いがありました。

 

写真左から熊ちゃん先生、しのけんさん、私・広石です。

熊ちゃん先生こと大熊剛弘さんは、もともとパチンコ必勝ガイドの解析人&ライターであり、ガイドを辞されたあとは他誌に移籍して活躍されたりしていましたが、今はパチンコ&パチスロ関連からは身を引かれてご自身のお仕事に精を出しておられます。

その熊ちゃん先生が今年のお墓まいりに参加してくださいました。

ガイド編集部はパチンコ班とパチスロ班が完全に分離しており、同じ会社に所属していてもライター同士が会う機会は基本的になかったりします。なので、今日が完全なる初対面。それがたまたま居酒屋で同じテーブルになりまして、しのけんさんと一緒にいろんなお話を伺いました。ドンスペシャルBの朝イチ単発回し攻略を発見した時の話、解析用の実機を入手するため法律スレスレ(というか完全にアウト)の無茶をした話、某パチスロメーカーの機種に元気の素を注入した話…等々。すでに時効だからってことで昔語りしてくださったのですが、カメラが回っていたらもの凄く面白い飲み動画になっていたと思います。

 

それと、熊ちゃん先生はパチンコ必勝ガイドの機種物ページを、初めて記名で書かれた方でもありましてね。「私こと大熊は~」から始まるCRコマコマ倶楽部3の記事を初めて読んだときは、こういうのもアリなんかと本当に驚きました。

「ライターは自分の書いた記事にもっと責任を持つべきなんですよ」

あっさりとそう言い放った豪胆さはさすがだと思いました。後に「パチスロ必勝ガイドNEO」という雑誌の「オール記名記事」が話題になったりしましたが、熊ちゃん先生はそれより10年も前に機種物を記名で書くパフォーマンスを実践していたわけです。

それから、それから…熊ちゃん先生は田山番(田山さんの担当編集)もされてましたが、いわゆる田山理論(パターン認識論ともいう。出る台にはいくつかのパターンがあり、経験則を元に押し引きするという田山さん独自の理論)に面と向かって「そんなのオカルトじゃん!」と切り捨てた、初めての人でもあります。いや、誰しも腹の底ではそう思っていた部分もあると思いますが、あこがれの田山さんに向かって一般人がそんなことを言えるわけがない。熊ちゃん先生は、親しいがゆえにそれを言うことができた数少ない人なのです。

熊ちゃん先生がガイドを去って十数年。まさか今になって知遇を得るとは思いもしませんでしたが、これもまた田山さんの導きだとしたら「人の縁」を感じずにはおれません。

 

「今日は来て良かったよ」

熊ちゃん先生の言葉に、私としのけんさんはにっこり微笑んだのでした。

田山さん、素敵な出会いをありがとうございます。

それではまた来年!