皆様、大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

昨年より寄稿を始めましたが、今後も少しづつ店長今昔物語を綴って参りたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

猫店長の連載コラムはこちら

 

凄腕店長の下で働く事となりましたが、19歳の若者に釘なんぞ簡単に触らせてくれる訳がありません。当時は主任でも早くて30代の時代でした。

そんな時、部長に「早く運転免許を取得すれば本部から煙草を支店に運ぶ仕事などもあるよ?」と伝えられ、はっ!!っとする猫店長。

他の自社店舗を見たり、店長と話す機会も出来れば出世コースも早くなるだろう・・・

翌日には早速教習所に申込みました。

まぁ同級生でもぼちぼち免許と車持ちが現れたのも大きかったからですが笑

たまたま配属先の近くに教習所があり、通い始めると直ぐに3人の教官に

 

「キミはパチンコ〇〇で働いているよね?」

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

ここで仲良くなり、来店する度に羽根物でVゾーンへ入れてあげて、本来なら教習車の予約が中々取れない所を一気に入れてもらい、1ヵ月足らずで卒業出来たのです。

※昔は当たり前のサービスでしたね。警察の指導がうるさくなりましたから、今もし部下がサブちゃん、トキオでそんな事をしたら怒りますね(苦笑)

無事に免許を取ると、当時の一般スタッフでは車の所有者は少なかったのもあり、色々な依頼が舞い込んで来ました。

早番で帰る30分前に「〇〇支店で遅番の欠員が出た。悪いが行ってくれないか?」と言われても、嫌な顔せずに全て引き受けました。

そんな頑張りも店長に認められ二年くらい経った頃、21歳で班長になり憧れの白いワイシャツを着れました。

 

その頃、社長の息子(大学2年生)が土日に研修アルバイトに来ていたのですが、社長から

「パチンコを勉強しろ!!ホールをひたすら走れ!!皆と同じ仕事をやれ!!」

「息子だからって気を遣う必要は無い、トイレ掃除も灰皿取りもやらせろ!!」

との号令。私が教育係でマンツーマン指導することになりました。

おんなある日曜日の朝、この息子が寝坊で遅刻して来た時に、店長が

「お前今日は帰れ!!オヤジ(社長)には自分で言え!!」

と、本当に帰してしまいました。

世間で言うボンボンの2代目には甘いとは違い、社長が息子にスパルタだった為に、現在同社は無借金経営で30店舗以上展開する企業に成長しました!!

※当時は腕の良い店長(マネージャー)に対しては、オーナーでも物を言えない時代。あのダイナムの社長も同じ事をセミナーで言っていました(笑)それくらい現場が重視されていたのです。

 

私もそれを見て、いつか店長になったら「僕も言いたい!!」という憧れが増すばかりでした。

この頃から店長、部長などに

「パチスロコーナーを新設したいんだけど、アラジンみたな荒い台と、ウインクル、スーパーセブンなど穏やかな機械とどちらが良いか?」

と聞かれたので

「〇〇店はアラジンだが、△△店は都営団地が近く、羽根物が動く店だからウインクルが良いと思います」

と提案し、その案が採用されたのですが……。

当時はパチンコ1台12万くらい、スロットは40万の時代で、スロットは最低1BOXで同一機種、1度導入したら2~3年は普通に使います。

まして7店舗中、4店舗がパチスロ島の新規導入。当時出始めたばかりだったメダルの自動補給機まで入れるから2億近い投資になると部長から聞いて、本当に大丈夫かな~?と心配になりました。

 

※後に分かったのですが、社長の息子にホール業務を教えたり、彼と一緒に他店へ打ちに行って飯を食ったりしている時、私の事を真面目で本当に研究熱心だ、と社長に言っていたとの事です。

 

↓当時のパチスロ導入前の配置図です。