にわかには信じられないような、業界初(当時から業界初という冠はメーカー雑誌社問わず大好きでしたが)の機能を持った機種「ブラボーファイブ」(1/265.7 時短70回)が平和から登場したのは、2003年の夏のことでした。

どんなに長い演出も、盤面左下に設けられたタッチセンサーに手をかざすだけで全て省略され、一瞬で当たり外れが表示される、という機能で、スキップ(機)と呼ばれました。

このスキップ機能により、時間効率が抜群に良くなったために、ブラボーファイブの追いかけを開始し、遠征して回る台を探しました。変動開始時、赤い羽根が舞い降りてくるとアツく、気合を込めてスキップ!その刹那「ドガーン!」で大当たり。7で覆い尽くされた液晶画面が表示、という感じでした。

いや~、この「ドガーン!」の気持ちの良いこと。時にはハズれ音「ピロロン」ながら液晶7で埋め尽くし、といったイレギュラー当たりもありました。変動をまたいだM字チャンス目が、時短70回転を超えても続いて「ドガーン!」というレアパターンを経験したこともありました。

その年の秋にはスキップ機第2弾の「笑点」、第3弾の「サンダーゾーン」が平和から立て続けに登場しました。「笑点」で思い出すのは、初打ち初当たりの時の事。新台入れ替え初日の開店時、椅子に座って待機中にBGMが流れて打ちだすと、店内放送で「まだです」。既に3回転させている状態にて、その3回転目に奇数図柄でリーチがかかり、ステップアップし円楽師匠役物大笑いといういかにもアツそうなパターンから、長いスーパーリーチへ発展。当然、スキップせずに見守っていると、見事?大当たり。これが店内放送「はいどうぞ」と同時という。後にも先にも、笑点でスキップせずに最後まで演出を見守った唯一のこと、でした。

末期は、円楽師匠役物が劣化し、ゾンビ化した台が増え、激アツの大笑いがシュールな感じになりましたが、それもまた一興?でした(笑)。

平和の快進撃はまだまだ続きます。次に登場したのは「爆笑モアイ」や「木枯し紋次郎」。これも業界初となる、エヴァンゲリオンで広く認知をされた「突然確変」のハシリは、この木枯し紋次郎でした。紋次郎は、木枯らしというか発砲スチロールが舞えば激アツとなりました。この2機種については今は無き駅前の、特殊景品がやたら大きい小規模店でよく打ちました。

ヒットをすれば真似をするメーカーが現れるのは業界の常。翌2004年、スキップ機能搭載機が西陣、ニューギン、SANKYOからも登場し、スキップ機全盛期を迎えました。

私が1番打ったのは、SANKYOの「フィーバー鉄戦騎」。この台はセンサーではなく、ボタン式。ポチっと押すと、大当たり時は「ザン!」と停止しました。某店に5台あった鉄戦騎のうちの1台、右打ちで回る台を見つけて追いかけるも、すぐにハズされてしまいました。ところが、アーケード商店街の中の木張り老舗店にスライドされて登場。首尾よく右打ちで回る台を見つけ、末期は限界近くまでヘソ釘が締められても回ったので、ハズされるまで追いかけました。

この老舗店はデータカウンタが無かったので頭で回転数をカウントし続けました。そしてデータを蓄積した結果、綺麗に表記上の大当たり確率(1/350.5 確変50%)と一致、海系機種など乖離してしまうケースもあった中、安心して打つことができました。39戦して総103458回転させ、初当たり296回、総当たり593回、平均回転率は28.2(千円)となりました。

遊技中はなんでもかんでも即スキップなどせず、ステップアップ予告が出ればステップ3の美咲登場まで見届けてからスキップしました。この美咲登場時の信頼度は25%、金色花びら舞い落ちで50%丁度の信頼度となりました。この老舗店も、数年前に閉店してしまいました。

その他よく打ったのは、確変が確定する郷のボイス「ジャパーン!」が気持ちよかったニューギンの「GO!GO!郷」、AKB48でおなじみになったRTC(リアルタイムクロック、各台一斉にコンサートが始まるあの演出)機能を、ヤングマンタイムとして搭載をした「ヒデキ感激」、「ギョギョっ」が大当たりの合図であったニューギンの「がんばれ!!ロボコン」、右打ちが有効な台があった、西陣の「花満開極」などでした。

その他、「ドラゴンモンキー」「あっ命」「祭物語」「プリティバンド」そして多分最後のスキップ機「熱血硬派くにおくん」など、末期に近づくにつれてスキップ即止まりとはならず、スキップしても少し演出が入る流れになっていきました。

時間効率がいい(時速400回転を超える)ということは、それだけ投資のペースも早くなり、短時間大負けのリスクもありました。別にスキップ機にこだわらなくても、当時なら「新海物語」を看板機種として甘くしているお店もあったり、スペックの甘いアレパチが登場したり、いろんな角度から攻めることができた時代でもありました。

登場して僅か1年半程度で禁止をされたスキップ機能。その後、ますますムダに長いリーチ演出を見せられるたびに、あのスキップ機能が懐かしくなったものでした。