~新生『6』~  

 

羊水『1-1』 『1-2』

崩落『2』 

転換『3-1』 『3-2』

自立『4』

転落『5-1』 『5-2』

 

 

あの夜から二週間が過ぎていた

 

手許にはもう百円玉の一つもない

 

風呂にも入らず、床はゴミと脱ぎ捨てた衣服で散乱し、炊飯器には直接食べるための箸がささったままになっていた

 

ちらと残りの米が目に入ると、それで何日持つのかを計算しそうになるので、すぐに意識を戻して、それまでと同じように壁に背を沈め、ぼんやりとテレビを見ていた

 

そんなとき、ふと、数カ月前に兄と一緒につくった口座の存在を思い出す

 

暇つぶしに探してみると、なんてことはなく賃貸の契約書などと一緒にしまわれていた

 

そのカードを持って、ふらふらと銀行へ行って確認をしてみると、キッチリ2万円

 

外のガードレールに腰を掛け、その2万円を手に、放心したように空を眺める

 

そうして、思い出したようにスーパーで味の濃い大量の総菜を買い込み、つぎつぎと腹の中へしまい込む

 

久々に味のするもので腹を満たし、ゴミだらけの部屋の中心にある巣穴のような寝床に身体を放り投げる

 

あたまがチカチカして、うまく状況を把握できない

 

それまで頭にあったのは、これまでに起きたことも、その果てで待ち受けているものも、すべてが必然で、なるべくしてなった、ということ

 

そしてじぶんは、それを受け容れた

 

なのに、なぜ、このようなことになったのか

 

じぶんは、どうするのだろうか

 

するべきことはわかっている

 

いや、するべきことではない

 

したければ、だ

 

自分はこの世界から、淘汰されるべくして淘汰された

 

ここで、自分のようなものが生き残るのは摂理に反するのではないか、そのような意識がどうしても消えなかった

 

 

「あ、お忙しいところすいません、以前深夜のバイトをさせてもらっていた工藤です、店長はいらっしゃいますでしょうか」

 

「ああ、工藤君!元気にしてる?」

 

「あ、奥さんですか、どうもご無沙汰しています!おかげさまでなんとか」

 

「それはよかった。で、今日はどうしたのよ」

 

「あ、いや、もしバイトの募集があるなら、また働かせてもらえないかと思いまして」

 

「あー、いま深夜は埋まっているのよ、昼間だったら空いているんだけど…」

 

「いや、全然昼間でも働かせてもらえるのであれば」

 

「あらそう、それでいいなら大歓迎よ。で、いつから働けるの」

 

「あ、いま仕事をしていないので、もういつでも」

 

「そう、なんか大変そうね、んじゃ早い方がいいわね!14時を過ぎればうちの人も帰ってくるから、そのあとだったらいつでもいらっしゃい。あ、住所が変わっているだろうから一応履歴書は持ってきてね」

 

「ありがとうございます、本当に助かります!」

 

「ふふ、大げさね。じゃあ、あとでね」

 

電話を切ると、ずっと切らしていた石鹸とシャンプー、そしてゴミ袋と安価なハンドタオルを買いに走った

 

家に着くとまず布団を畳み、ゴミをまとめ、シャワーばかりで半年以上使っていなかった浴槽にお湯を張り、買ってきたばかりのシャンプーで泡が出るまで何度も頭を洗い、封を切った石鹸で身体中に貼り付いた汗と脂をゴシゴシと剥がし、そうしてのんびり湯船につかりながら、口の中の隅々まで丁寧に歯ブラシをあてた

 

風呂から出ると、押入れにある季節外れの服の入った段ボールから比較的薄手のものを引っ張り出し、サンダルをつっかけて履歴書を買うために玄関を出た

 

初夏の日差しは、露出している肌をジリっと照らし、活動期に入った虫たちは道路向かいの木陰のなかから騒がしく鳴いていた

 

頸すじに感じる熱も、頬に受ける風も、眼に写る世界も、それまで自分が感じていたものとは、すべてが別の世界のようだった

 

あたらしい街に越してき住人のように、ゆっくりとした足取りで、ひとつひとつ確認するように世界をながめた

 

途中にある交差点で、赤信号が青に変わるのを待っていた

 

正面にある古いビルの壁面、子供の玩具のような安い色をしたランプの羅列は、日陰の中で眠るように息をひそめて、夜になるのを待っていた

 

横断歩道のむこう、駅へと向かう左手の先には文房具屋が見えている

 

信号が青に変わり、歩道を渡る

 

ガラス扉の前に立つと、あふれるような熱気とアナウンスが街中に少しだけ流れた

 

その熱の渦の中心へ、吸い込まれるように自分は消えていった

 

 

 2020/6/7 ぽち。