先日友人とドラクエウォークをして歩いていたら「Uber eats」のバッグを背負った自転車とすれ違いました。

私はそれを知らなかったのですが、友人によるとマクドナルドやレストランのメニューを配達してくれるサービスらしい…うーん、不思議なものができたなぁと、それが第一印象。

 

こういったサービスはちょっとインテリ系の人から使い始めるイメージがあります。

そして、私はインテリ系の人とは考えが合わないことが多々あります(笑)。

今回も「近くのマクドナルドに行くのは面倒で届けてもらうのに、わざわざジムに行ってハムスターのようにウォーキングマシンに乗るのは意味が分からない」と思っていました。

 

まあ、この記事を書く前にネットで検索したらオフィス街を中心にサービス展開しているとのことだったので、時間のない中で食事を充実させるためのサービスだと判明し、納得しましたが。

でも、私が友人と歩いていたのはもう夕方だったんだよなぁ…うーん(笑)。

 

こういったサービスは効率を重視しているのだと思います。

また、仕事や食事を効率的に処理することで空いた時間を好きに使えることもメリットなのでしょう。

極力無駄を減らして効率的に…は、とても現代人らしい考え方だなと感じます。

 

しかし、それを自分に当てはめようと思うとなかなか難しいです。

私は無駄や労力が何かをする上で大切なことのように感じています。

例えば、どこかに食事に行きたいと思う…と、移動の労力と金銭的なマイナスが頭に浮かびます。

それを乗り越えてでも食べたいなら、それは本当の食べたいだと思う。

けれど、それを面倒だと思ってしまったり、割に合わないと思う程度ならそもそもそれほど食べたくないのだなと、そう判断しているのです。

 

だから、Uber Eatsの例でも時間のないお昼なら仕方ないと思いつつも、時間がないならそこは他の食事で凌いで時間を作って(時間を作る労力を割いて)行けば良いんじゃないか…と思わなくもないです。

 

大抵の人は仕事を効率的にやりたいと考えていると思います。

よって、人間の個性が出るのは主にそれ以外の時間…一見無駄に思えるような何も生産しない時間にあると思います。

本を読む、映画を観る、筋トレをする、ゲームをする…もちろん、ここにスロットをするも入ります。

自由な時間に何をしたいのか、どんな労力を割くのかでその人が見えてきます。

 

無駄を楽しむと言うとちょっと格好が良すぎますが、無駄なこと(なのにやりたい)だからこそ意味があるのではないかなと。

それをすればお金がもらえるとか、何かメリットがあるならやるのは当たり前。

メリットがないのにやりたいからこそ、息抜きになるし、何を好むのかの個性が出るのだろうな…と。

 

そんな私はジムで歩くならば、同じことだろうとドラクエウォークにハマっています。

気が付けばレベル51…ジムで13キロほど歩くので同じ換算で東京駅→池袋駅とか歩いているからなぁ…。

しかし、こんな無駄が、私はいとおしいと思うのです。