パチンコ勝負の思い出、その3です。
これが一番しんどかった勝負かな。笠倉出版から出ていた漫画誌の「劇画パチンコクラブ」という本で、何かの拍子に故飛鳥一平さんとタイマン形式で回転率だけを競う勝負をすることになったのです。

ぶっちゃけ、過去の経験から「俺はもう白黒つける勝負はいいよ。勝っても負けても嬉しかねえし」と思うようになっていたのですが、この漫画誌の編集長さんはとてもいい人で、できることなら力になりたい。そんな板挟みの末に私情を捨てて参戦したわけです。

ルールは新宿のホテル内に居を構える「フレスコ」(ウノグループですね)で、閉店後の深夜に「あっぱれ応援団」という京楽の台のシマを借りきっての企画。千円分(250個)ずつ玉を用意して、その玉が無くなるごとに回転数を記録して三万円相当の玉を全部打った時の合計回転数で勝敗を決めるというもの。途中で当たったら、その回は無しにしてやり直しと中々シビアな形でした。
そうそう、店側は企画用に各台の釘を様々にしてました。「それも読め」ってことですね。

結果は私の方が回ってました。ただ、その日は日中必勝ガイドの対談収録があり、終わってから企画に向かうまでに、初物だったあっぱれ応援団を触る機会がありました。事前に機種は知らされていたものの、それはアドバンテージだったかもしれない。飛鳥さんはブッコミを打っていたようでしたが、自分は「これって、天にあるワープを抜くべく頭に引っ掛けた方がいいんじゃね?」とアタリをつけてましたから。

でもまあ、終わってからは針のムシロでしたね。飛鳥さんは「最初に二人の第一候補が被ってその台が除外になった後、自分が選んだ台で勝ちを確信してた」と言ってすごく落胆するし…。
それを見てたら自分の台選びの「平常だと寄りは活きてても、他でなんだかんだと殺しが入ってる台がデキで回ることが多いんだな」とか言えないじゃないの。もちろん、勝負は時の運でどや顔もできないしさ。

企画を終えて残ったのは、またもや「やって嬉しいことなんて無いや」の実感。そして、「日々の頑張りこそが結果。企画で勝ったり負けたりに一喜一憂するより、トータルの数字や店がバッティングした時の動きで腕は決まるでいいじゃん」の自分のモットーでした。
つくづくこういうのに向かぬ奴です。