ガイド系の名高い方々や、安田さんを慕って集まられた方々が書かれている悠遊道。他媒体出身の無名な私が突然書き始めたのかわからない方も多いことでしょう。

昨年秋、共通の知人であるコンサルさんと酒席後の麻雀をしていたとき「こういうサイトありますよ」と教えていただき、その場でLINEのやりとりが始まり、あれよあれよと今に至ります。本当の話です(笑)。

安田さんと初めてお会いしたのは、2002年のこと。『パチンコ攻略マガジン』の和泉純さんとボウリングをした帰りの飲みの席にいらしてくださいました。まだ私は駆け出しのペーペー。もの凄く緊張……させない、穏やかで優しい方。って、皆さんのほうがご存知ですよね。パチンコとパチスロ。誌上プロと取材系ライター。編集部も違いますし、そこから接点はありませんでした。

大手誌以外の雑誌が休刊となった2006年、私は元々携わっていた777@niftyというWEB媒体へ。そこに40歳を越した新人ライターとして入ってきたのがタッキーさんでした。腕は超一流。文字は書いたことがない。そんな年上の後輩です。

安田さんも書かれていましたが、それなりの修羅場(隣のネタプロが刺されたとか)をくぐっているのに、物腰がとても柔らかく。当時の編集長が文字の達人だったため、文章力もみるみる向上。最後はライター陣で一番上手かったんじゃないかな。サイト縮小まで9年間近く、毎月の編集会議後に野球談義をしましたとも。浜田省吾や長渕剛を歌わせたら天下一品(笑)。

一応、フォローしておきますね。ライターになってからは、体感機などのネタ系は封印しております。自分の打ち方を読者さんに見られているかも、という自覚も高く、知識と足で勝負するスタイルを発信し続けていました。私の原稿で変わったホールに触れた際も、店名を伏せてパチスロの話が中心だったのに「F店でしょ? 確かに我々行くと環境が崩れるw」とメールをすぐにくれたほどです。

 

悠遊道、安田さんと私を再び繋いだのは、タッキーさんでした。昨年12月に亡くなってしまいましたが。

お話をいただいたとき「タッキーさんとなにかをやりたい」これが最初に浮かんだことで、そう安田さんにもLINEしました。余命1年の宣告を受けてから半年余り。体調が一進一退なのは百も承知。微力ながら、言い残したいことがあるのならばお手伝いしたい。安田さんと私の共通認識だったかと思います。体調がすぐれないと断られてしまいましたが。

友人なら希望を持たせろとか思われるかもしれません。達観された方だったんですよ。病気をカミングアウトしたのも飲みの席。「実はさぁ」って笑いながら。闘病している経緯もブログに書かれていましたが、優しい人柄がとてもよく出ているのです。弱音も吐くけど暗すぎない。もし、自分がそうなったら、あのように書けるのだろうか。

ブログや777@niftyの原稿をたまに読み返していますが、まったく実感湧かないのが本当のところです。

 

ちなみに、この原稿を書いている1月31日は『パチスロ必勝本』でライターをされていた、ぎるびいさんの命日だったりもします。お互いライターになる前からの盟友。アラフィフに向かう世代も鬼籍に入ってしまったライターは少なくありません。

「どうせ長生きなんてできないのだ」とか、縁起でもない(笑)。そうそう、そんなポロリさん。冒頭のコンサルさんと安田さんがLINEをしていたときに同じ雀荘で別卓におりました。