パチンコ攻略マガジン誌にて、アンケートで歴代No1機を決める企画がありました。そこではCR大工の源さんが見事No1の座に選出されていました。

私が思う歴代No1機はアレジンです。

アレジンを初めて見た時は、見慣れない「完全無制限」の札が台ごとの頭上に付けられ、すごい出玉になっていました。その出玉に釣られて打ってみると、割と早めに777の大当たり!「大当たりしたらすぐに右打ちしてください」の表示通りに右打ちしましたが、らくだの羽根開放中に真ん中の口に入らずパンク。

悔しい気持ちで席を立ちました(後に、この行為は早計だったと分かることに)。

アレジンの大当たりの前兆を思わせる「ピュイ」は中毒性があり、過激連チャン機ファンを虜にするのに時間はかかりませんでした。

私は鉄火場コーナーは敬遠していましたが、パチンコが最もアツかった連チャン機全盛時代の代表機の地位を確立したアレジン。

しかし、1993年、連チャンを誘発させるように釘を調整した「ダービー物語事件」を機に多くの連チャン機が規制されました。

そして全国的に一気に連チャン機の撤去が進み、もうどこにも無くなったと思っていた頃、大阪にまだあるとの情報を得ました。既に地元には無くなり、アクダマンSPを打つために大阪へ遠征したついでに、その難波K店へも行ってみました。

大阪最大の繁華街難波のど真ん中にそのお店はあり、店内に入るとあの懐かしいアレジンが鉄火場となっていました。他にも、エキサイト、ソルジャー、エキサイトジャックなどの、もう他では打つことができない過激連チャン機が残されていました。

懐かしい気持ちでそれぞれの連チャン機を打つと、やがてやたらよく回る台に遭遇。弱連チャン機である麻王でした。麻王は保留を埋めずに大当たりさせると連チャン率がアップ。なので保1をキープで打ち、左図柄停止時のまだ作動中の中図柄の位置でリーチがかかりそうかどうかが分かるため、飽きずに打てました。リーチ後は大当たり図柄の1コマ手前でスローになれば大当たりだったので、アツい瞬間もハッキリしていました。

通常はラッキーNo制(ラッキーNo以外の図柄で当たると1回交換)でしたが、朝の1時間などラッキータイム時に大当たりすれば持ち玉遊戯ができるので、その後は開店に間に合うように遠征。

アレジン中毒者(アレジン大好きな知人)を連れて遠征した時、良かったと言っていただきました。帰りの車中では自分なりのパンク回避打法などの熱弁が止まりませんでした。

私が運営する「じゃじゃもれ掲示板」の開設時、2003年からの3年間レス投稿件数第1位を3連覇されたおひさんとも、この難波K店でよく連れパチをしました。おひさんのトータルレス件数861は今でも総合第1位となっています。掲示板でやりとりするだけでなく、お会いしたらさらに親近感が持てる。共通の趣味パチンコが生む大きな利点です。

北と南側、2か所の入り口があった難波K店。ほとんどがアレジン目当ての朝の並び客も濃かったですが、彼らの握るハンドルにもし固定器具などあれば、ビシバシ抜き取って廻っていた愛想のかけらもない若い女性店員もまた凄かった。

それから間もなくしてアレジンやエキサイトを最後まで残したまま閉店してしまったK店。そこに行けばまだ連チャン機が打てる、それだけで貴重なお店でした。

 

■じゃじゃ流パチンコ川柳

「ピュイ音が アレ中毒者を 数多生む」