パチンコ必勝ガイド、現存最古参編集部員のワッシー鷲津でございます。今回安田プロから「背筋の凍りついた話」というテーマで依頼頂きまして、少し昔の事を振り返ってみましたので少々お付き合い下さい。

自分がガイドに入った1992年、パチンコ店はアンダーグラウンドそのものでした。パンチパーマで営業中もタバコを吸う店員、昼間っから万券を湯水の如く突っ込むその手の客、店からも遠く訳の分からない地下階段を降りる景品交換所etc.。そんな中、新人に振られる最初の仕事はスペックも不明な連チャン機のデータ採りです。

やる事の内容は簡単、大当りした時の保留やアタッカー入賞などの状況を自分の台やシマ単位でメモ帳に記録するだけ…なのですが、当時はまだゴト師なども横行していた頃。店内で不審な行動をしていたら即、事務所直行の可能性があります。その注意などを受ける基準は店しだい、後年になって電波が流行った時はポケットから携帯電話を出しただけでも店員に睨まれたモノです。

データ採りや攻略法を試す時は往々にして挙動が不審になるもの、「戸板一枚下は地獄」という船乗りのことわざもありますが、我々にとっては景品カウンター後ろのドアがまさしくソレ。パンチ店員から強制的に呼び込まれた際は、没収~お帰りくらいならまだ優しい扱いです。最も一番怖いのは、せっかく収集したデータのメモ帳を没収される事。やはり後年、大学ノートで堂々とメモっている他誌の子を見た時はまあ驚いたモノでした。

当時は監視カメラより目視の方が重視されていましたので、なるべくシマの真ん中に座り人ごみに紛れます。メモ帳はてのひらサイズ、ある程度の状況はまず記憶し、ペンを動かす時間を最小限にするよう記号化して短時間で書き込む。首を振って周りを確認していると目立つので、台のガラスに映りこんだ白シャツ(店員)の動きを随時確認…と、やっている事はあまりゴト系の人と変わりません。

こういった行動を徹底していたせいか、自分が単独時に事務所行きとなった事はありませんが、後輩などと打った際に連れの者が引っかかったケースはありました。某メーカー直営店にショッカー(データマン)を放り込み自分は別店舗へ行っていた時の事、ふと鳴った携帯に出てみると店長さん。あわててホールに赴いてみれば、「こういった事をするのなら許可を取ってくれ」と。その場で某メーカーに連絡し事なきを得ましたが、様々な場所で頭を下げて最終的にホールと仲良くなったケースは往々にしてあります。

また当時の某メーカー直営店はわりと辺鄙な場所にあり、近場では食事をするのも困るレベルでした。朝から打つのは良いのですが、困ったのは訳の分からない連チャン機を相手にしていると、どの程度の投資金額準備が必要かを見極める事。なんたって場所は先述の通り、銀行はおろか地方銀の出張所ですら遥か遠く。当然この頃にはコンビニATMなんぞありません。思い起こせば早朝から新装に並び、大丈夫だろうと思っていた金額ギリギリまで投資した某連チャン機実戦の時が一番、背筋の凍った時だったかもしれません。どっとはらい

※どっとはらい:主に東北地方で用いられる民話、物語の結句。


【SPコラム~2019夏~】特設ページはこちら