昨年は、この時期にクリスマスの想い出として1999年のことを書きましたが、今年は1998年を振り返ることとします。古くてすみませんね。2000年から雑誌で仕事をするようになって、年末進行という地獄しか見なくなっちゃったものでして(笑)。

1998年、私はこじらせ系のスロプーでした。スロプロと呼ばれるような収支を出していた時期もありましたが、それに疲れてしまいまして。かといって、パチスロ以外にパッとお金を手にできるものもなく、パチスロ以外に散財したくなる趣味もなく。結果、このようなスケジュールになります。

月の前半は、勝てるパチスロを打ってしっかり稼ぐ。月の後半は面白いパチスロを探して散財する。

この年の後半が一番イカれていたと思います。東京在住なのに、毎月のように兵庫県尼崎市へ行っていました。お目当ては『原人7』の裏モノ(チェリー前兆Ver.)。後に神奈川県伊勢原市にも設置されましたが、当時は特定地域に行かなければ打てない機種や裏モノのバージョンも多かったのです。

と、口では簡単に言えますが大変な時代でした。P-worldもまだありませんからね。SNSや2chもありません。私は、パソコン通信で情報を共有できる仲間を増やせましたが、ピンで様々な知識をお持ちの方は本当に尊敬します。

 

毎月通うほど『原人7』は凄かったのか? そう思われるかもしれませんが、裏モノとしてはショッボイですよ。万枚とか非現実的。通う価値があるほど面白いゲーム性だと思いましたし、最終的には自宅に導入しちゃいましたけどね。って『原人7』の面白さは別の機会にしましょう。今回はXmasシーズンらしく『ファニーサンタ』の話です。

1998年12月の終わり頃。思い立ったが吉日と車を走らせること片道650Km。カーナビもない時代に、地図も見ずホールの駐車場まで一直線。シャッターが開くと同時に雪崩れ込む尼崎スタイルへの心の準備をしていると、どうも様子がおかしいのです。いつもよりお客さんが少ない。そこにこのホールを教えてくれた友人が到着して一言。

昨日さ、謎の中国人集団が『サンタ』のセット打法でタコ抜きしちゃったのよ

この遠征が悲惨なものとなったのは言うまでもありません。通うくらいだから、それまで遊ばせてもらっていたんですけどね。

裏モノ好きにはかなり有名なホールでしたが、これを境に閑古鳥が鳴くようになったような気がします。仕事で大阪方面に行くと寄るようにしていましたが、ほんと酷い有様となってほどなく閉店してしまいました。今はマンションになっているようです。ストリートビュー便利(笑)。

ということで、ホールを再起不能にするくらい、ネタプロに大盤振る舞いしちゃったサンタさんのお話でした。この金額自体はすぐに取り戻せるものでしょうけど、その過程で潮目が変わったんでしょうな。

 

※メーカーと裏モノは関係ありません