私は昭和57年の春に大分県の某県立高校を卒業し、親元を離れて広島の某大学に入学しました。そして、あるとき同じ大学の友人に誘われてホールに行き、そこで初めてパチスロに出会いました。悪友の中には、高校時代からパチンコ店に出入りしている強者もいましたけど、私はその点に関しては真面目であり…いや、真面目とかそんな良いものじゃありません。本当はホールに入るのが恐かったんです。

今でこそ、パチンコ店は綺麗で清潔で、店員さんの教育も行き届いてますが、当時のホールは汚くて店員の態度も悪いのが普通でした。今じゃ絶対に考えられませんけど、お客さんが台をキープするために置いてるタバコを盗んで吸ったり、玉貸しサンドの返却口に残った100円玉をくすねて回る店員を見たこともあります。

ともあれ、「パチンコ店は恐いもの」というイメージがあった私は、年齢的なフライングをすることもなくパチスロを知ったのですが、もちろん最初からパチスロにどっぷりとハマったわけじゃありません。

当時の私は若干18歳。近所のパン屋さんで一袋20円のパンの耳を買って食いつないでいた貧乏学生が、湯水のようにお金をつかうパチスロなんて簡単に打てるはずがありませんからね。

そんなわけで、打つのは専らパチンコの羽根物でした。三洋の「グラマン」、京楽の「スーパーワンダー」、三共の「ギャラクシーダイバー」、西陣の「スペースジャガー」etc…中でも平和の「ゼロタイガー」が大好きで、1日に2~3百円ずつ打って順調に負けていたんですが、あるとき広石少年は気がつきました。

「出る台って、いつも決まってるよね。だったら、適当に座って打つんじゃなく、出る台に座った方がいいんじゃね?」

当たり前のことだと笑うなかれ。当時は今のようなパチンコ雑誌なんてないし、全てが手探りだったんです。だけど、誰にも教えられずに「調整の善し悪し」や「役物のクセ」という重要な知識を身につけた経験は、後になってパチスロを打つようになってからとても役に立ちました。その話についてはいずれ述べるとして、とにかく、これ以降は一方的に負けるんじゃなく、立ち回るようになったんですね。

もっとも、知識を身につけたところで調整なんて読めませんし、ひたすら打ち止め台の開放を待って勝負したんですけど、それだけで驚くほど収支が上向きました。当時の羽根物は今のようなラウンド振り分けも貯留機能もなく、大当りとパンクを繰り返しながら少しずつ出玉を増やしていくゲーム性でしたから、打ち止め開放台に座れば高確率で再び打ち止めになったんです。3千発が定量の羽根物で、およそ2~3時間。調整にもよりますが、だいたいそれくらいの所要時間でしたかね。

でもって、普段は財布の中から小銭を出して打っていたんですが、あるとき、百円玉が1枚もないことがありましてね。仕方なく、両替機を探して千円札を挿入したところ、次の瞬間にザラザラザラ~…っと、けたたましい音をたてて50枚のメダルが受け口に溢れました。一瞬、何が起きたのかわかりませんでしたが、どうやら両替機と間違えてメダル貸し機にお金を入れてしまったようです。

当時は同じ経験をした人がとても多かった。ガイドのライターではアニ氏やタケちゃんも、自分と全く同じパターンだったと聞きます。

ともあれ、こうなったら仕方がない。覚悟を決めてスロのシマに足を踏み入れたところ、そこにあったのがユニバーサル販売の0号機「アメリカーナ」で、最後の3枚で大当りを引き当てるというビギナーズ・ラックに遭遇したんですよ。

ちなみに、パチスロという名称はまだありませんでした。店内のポスターには「アメリカンパチンコ」と書かれてましたが、誰もそんなふうに呼んじゃいません。記憶にあるのは、やっぱり「スロット」という誇称です。

話がそれたので戻します。

リールに777が並んだので、見よう見まねで大当りを消化しました。まずはレバーを叩いてリールを回し、それからコインを1枚投入して左ボタンを押す。それで中央にJACが止まって15枚の払い出し。さらに1枚投入して中ボタン、1枚投入して右ボタン。入賞時の15枚と3回のJACで純増は54枚。さらにレバーを叩いて同じことを4回繰り返して大当りは終了しました。

0号機は777が揃った後に1枚掛けで回す機種が一般的ですが、自分が打ったことのあるユニバーサルの0号機(アメリカーナとリバティベル)は、いずれもコインを入れずにレバーを叩き、リールが始動してからコインを投入する仕様でした。

そして、ここからが凄かった。しばらく回していたら再び777が揃い、そこからはスイカやBARが入り乱れて大連チャン。適当に左→中とリールを止め、テンパったボーナス絵柄を右に狙えば必ず揃ったので、スロットって凄く簡単なゲームだな…なんて思ったりもしたんですが、もちろんそんなことはありません。ご存知の方も多いでしょうが、当時の0号機は「ボーナスが揃うと一定の割合でボーナスの高確率状態に移行し、ホール側が定めた打ち止め枚数に到達するまで出続ける」というゲーム性でした。いや、もしかすると地域によって微妙に違うかも知れませんが、私が広島で打ったスロットはそうだったんです(当時は同じ機種でも県によって中身が違う…なんてことが普通にあったそうです)。

「これで終わりだよ」

二度目のコイン補給に来た店員さんが「打ち止め」の札を立て、そう言いました。小箱に詰め込んだコインをカウンターに持っていくと、渡された特殊景品は1万2千円分。枚数は覚えちゃいませんが、おそらく1200枚くらいだったと思います。つまり、今で言うところの「10枚交換」に相当するわけです。だけど、決してボッタクリとか、そういうわけじゃありません。だって、この当時はそれで普通だったんだもの。

交換率や打ち止め枚数は地域によって違ったらしいのですが、とりあえず自分が初めてスロットを打った時はこうでした。

そして、予期せぬ大勝ちでスロットに味をしめた広石少年は、翌日からどっぷりとスロットにハマる…ことはなく、相変わらずシコシコと羽根物ばかりを打ち続けましたとさ。

だって、ほんの十数分で1万円も吐き出したスロットが恐かったんだもの。

ここらへんは、意外と冷静ですね。

嗚呼、我ながらクソ面白くもない!

なお、この年の収支表は以下の通り。

4月    -5,300円
5月    -19,100円
6月    +7,000円
7月       0円
8月     -500円
9月    -2,200円
10月     +900円
11月    -12,200円
12月    -10,800円

トータル年間収支はマイナス 42,200円です。

なんや、負けとるやないか! 

はい、負けてます。個人的には「授業料を払った年」というふうに認識しているんですけど、それじゃダメですかね…? かの長嶋茂雄もデビュー戦では4打席4三振だったわけだし、大きく飛躍するためにいちど身をかがめるのは、決して悪いことじゃないと私は思います。