統一テーマ企画はこれで3回目かな。今回はなかなか面白いお題を万回転が提案したので、パチンコ版自分史という感じで、時代時代で印象に残る機種を挙げてみたい。
☆ビッグシューター
言わずと知れた羽根モノの名機の初代機!
学生プロ時代の過信をもとに教員を辞めた自分は、朝からホールに行くようになって、いきなり壁にぶち当たる。だって、座るべき開放台がないんだも~ん(汗)。
いやあ、パチンコをナメていた自分を恥じましたね、マジで。
そんな時に師匠Tさんとの出会いがあり、この機種の右打ちを教わったのでした。
右から玉を拾わせることで、貯留解除後の継続が絶望的な状況が一変。継続率は多分1.5倍くらいに上がったんじゃないかな。
ジグマとしてこの機種を追う間に釘の変化も見えてきて、他の羽根モノでも勝てるようになったのは、本当にラッキーでした。この出会いがなければ、自分の今は無い!
☆サファリ
京楽から登場した連チャンも何もないノーマルデジパチ。ドットの絵柄が見にくくてねえ。
スーパーセブンにニューパニック、フィーバーレクサス~フィーバーボルテックスと、デジパチは攻略ありきでやってきた自分でしたが、ボーダー理論だけを基にヒラ打ちで勝てるのを実感したのがこの機種&同メーカーの居酒屋でした。
まだ頭上にスタート回数の表示がない時代で、1桁めは指を折り2桁は脳内で、100回転の区切りは1円玉を手元に置いて、回転数を数えたものです。後年導入した計数機はなんか恥ずかしくて(笑)。
理論というのは実習が伴わないと真実味に欠ける。特に当時はまだ「本当にパチンコの試行回数で収支がまとまるのか?」と疑われていた時代ですから。
自分はやってみて結果が出た。その自信があるから、専門誌の誌面で「勝てるよ」と書けたんですよ。
あと、当時ジグマとして通っていた店は厳しいラッキーナンバー制で、その分回った。保3止めをするだけで現金投資でも主婦のパート代くらいになる台が転がっていたので、無制限の札をゲットすればぼ無敵。体でデジパチのヒラ打ちを学ぶには良い環境だったと思います。
食っていた時代の幸運ですかね。でも、今の打ち手は検証が必要ないほど情報に恵まれているから、その面では羨ましい。楽な時代を過ごしたことで、自分は後にどんどん厳しくなる状況でアタフタしたし…。
結局、「残る人間は残る」それだけっすよ。
☆海物語3R
今の甘デジじゃないですよ。ミドルの海物語の初期版。まだ時短機能が搭載されていなくて、初当りが315分の1で2分の1で確変突入。通常では1回ポッキリという仕様でした。
この機種を忘れられないのは、ジグマが続けられなくなって近隣の店で放浪を始めた頃、来る日も来る日もコレを打ったから。
釘が毎日動く店、当時は珍しかった出玉が渋い店(ここはジェットカウンターも怪しかった)、日当3万の台が万年釘で据え置かれた店…。トラブルもあったけれど、いま思うとまだ全然勝ちやすい時代だったなあ。
それから、店を動くようになってもジグマで培った釘読みは通用したことで、自信はつきました。
自分が育ったホールはとにかくシメるのが早かったから、万年釘の店でのうのうと打っている人達を見て「そりゃあ、上手くならんわな」と上から目線だったこともあるくらいでしたね。
☆大海物語WITHアグネス・ラム
海にアグネスラムの名が冠された機種はたくさんあるのですが、これは最初のタイアップ機。自分の中で「初代アグネス」と呼んでいる2008年登場の甘海です。
時は流れてホールの高換金化は進み、回り具合の管理も厳しくなっていたのはこの頃。
スロットはこの機種が出た後に5号機ショックがあり、パチンコの方へ流れたスロプロも多かったはず。
初代慶次のチョロ打ち等はあったものの、その後のプロの主流は玉増やし。
「なんか面倒くさそうだし」と、銭形平次を少しやって挫折した自分は、ぽち。君のヒントから海の左側でのひねりに活路を見いだしたのでした。
(時期としてはアグネスの方が先に手をつけていましたが)
時間はかかった。試行錯誤しながら止めずにひねる方法が完成するまでは大変だったし。でも、その過程は凝り性な自分には楽しかったなあ。
あっ、ホールで看板扱いされることが多い海ゆえに、効果はそこそこ&長期間でしたね。右打ち機全盛の時代には上記の打法をやっているプロは見なかったし。
結局、タイミングは少し変わりながらも後継機でも使えて、自分は4年も5年もこればっかりやってました。釘がアケられる機会が多かったので、1回転2個や3個の増え方でも十分食えたのはラッキーでした。
自分のパチンコは「常に必要に迫られて取り組み、勝てる機種から学ぶ」その繰り返し。
その度に苦労あり、気づきありで、自分に足りない物を補完してきた気がします。
攻略でも単なる技術介入でも、その過程では不器用さがゆえに何度も諦めそうになった。でも、いつも必死で考え、頑張り続けてきたから今がある。
これからの時代はますますパチンコは厳しくなるでしょう。でも、勝ち残る(負けないで続けられる)ためのカギは変わらない。
「考えること」「努力を惜しまないこと」
それだけだ。
自分も頑張って、行けるところまで行きたい。同じことを読者の皆さんに強制などしないけれど、できる範囲で技術を磨いてほしいのです。何度も言ってるけれど、パチンコは遊戯でなく遊技なのだから。
一般の人から見れば盤面に向かって玉弾いてるだけにしか見えないでしょうね。
小さな辺境の世界なんですけど、歴史とドラマがありますね。
そこには、音楽があり、リズムがあり、ステージがあり、感動があります。
コンサート会場の芸術家と何ら変わりがありません。
初代アグネスには700ハマり後の爆数珠繋ぎ当たりという荒い思い出があります(笑)
一台でもプロに好まれた台に触れたのは嬉しい😊
これからパチンコを置く店舗の仕様は変わっていくのかもと思いますが、素人として長年楽しんだ日本の遊技、そこにある限り楽しんでいきたいと考えています。
ppさんへ
パチンコの先へ進んだppさんから、今回のような返信が来るとは!
芸術と比肩しうるかはわかりませんが、パチンコにも歴史と魅力はありますからね♪
ひーさんさんへ
なかなかドラマチックな経験をお持ちで(^.^)
猫店長氏も「あの機種は荒め」と言っておりましたよ。
こんな状況ですが、パチンコが長く打ち手に愛されてほしいのは、
私も同じ思いです。
僕がパチンコ始めて半年程してから今は無きパチンカーワールドゆう漫画雑誌の中の数ページに安田さんのパチプロ日記がありました。この出会いがあったからこそ早めな勝ち組パチンカーになれたと思う。なので安田さんには感謝の言葉とこれからも応援し続けますm(__)m
この頃はノーマルデジパチ全盛期でこれも確率覚えるのに好都合だった。早20年近くも前(>_<)
初代CR海物語1/315.5が登場するまでには、確率論を身体と、データ取りをして会得していました。
安田プロが、おっしゃる通り回転数は頭の中で数えていました。
困ったのは、回転数を数えている時に知人が話しに来る時です。
知人の話を聞いているフリをしながら笑顔でうなずきながらも、頭のなかは回転数の事だけ(笑)。後には一旦メモしてゆっくり話しは聞くようにしましたけど。
今の台と大きく違うのは出玉の量ではないでしょうか?その頃の今で言うミドルスペック機は2300玉位は普通に出ていたと思いますが。
今のミドルスペックの台は知らずに打つと、え、5ラウンドだけ?て言う機種も多いと思います。
海に限らず初当たりが確率以上に当たりすぎた日は、夕方頃になると、ハマレハマレ、1000回転越すまで当たるな、安い玉でハマレよと念じている時に、魚群でも流れようものなら当たるな~外れろ?ヒヤヒヤものでした。
当時は回す店も多く、出玉も多くて勝ち易い時代だったと思います。それが今は演出だけハシゴをかけ、もう当たったと思わせて最後にハシゴを外す台ばかり。
あ、いかんいかん愚痴を言うはずじゃなかったのに。すみません安田さん!
続きはまた。
安田さん、こんにちは。今回はテーマとは違い、昔から気になっていた事を安田さんにお尋ねします。
一つ目が、20年かもっと前、パチ屋さんの事務所には、暴力団の舎弟が常駐していて見慣れない顔がたくさん当たっていたら何か因縁を付けて追い出していたとか?
昔はパチ屋さんの店員の何人かがパンチパーマでにらみを効かせていましたし。
僕も回る台で保3止めをしていたら、背中
の台を雑巾で拭いていて、ガラス越しに見
ていたのでしょうね、「止め打ちはダメ」
と言われて、パンチパーマの店員が背
中にへばりつき、怖かったので保留満タン
でも打ちっぱなしにして次の大当たりが終
わると、そそくさと玉を流して換金して帰
りました。
二つ目が、毎朝開店前に並んでいるパチかスロかわかりませんがプロに店から店員が出てきて三万円位入った紙封筒を渡して帰ってもらっていたとか?
安田さんが、知っている範囲で教えて頂けないでしょうか。
あの頃の三共平和西陣羽根モノ一日中打ってました。
羽根モノ打ち止め→一発台の繰り返し。オトシの上で釘が
ない部分で玉が止まってたり、怪事件たくさんありました。
今の台は、ハイハイって感じでワンパターン。正直あきてる。TOKIO羽根モノは、面白いけどね。パチンコ業界もいま
休んでる間、もっと面白い台構想練ってほしいものです
パチンコやれてない時間が1番つらいです。
安田さんなんか特にきびしいですね。
匿名希望さんへ
その頃から読んでいただけたのですね、ありがとうございます!
あの連載は最初下柱(ページ下の欄外)から始まりました。良い思い出です。
パチンコもずいぶん変わりましたなぁ…。
えへへさんへ
私も同じことがよくありました(-_-;)
最終的には回し始めた時刻をメモっておき、記憶が飛んだ時の保険にしたなぁ。
機種ごとに一分間で何回転というのを知っていれば、丼勘定でも回転数は出せたので。
たしかに今のパチンコの荒さは、ラウンド振り分けがデカさと消化の悪さも大きな理由ですね。
怖かったさんへ
同じことは大なり小なり、みんな経験してると思います。
私も去年のスペシャル企画で書いた通り、事務所へ連れていかれた時は超ビビりましたから。
保3止めで怒られる店は昔からありましたねえ。
はっきり反社の人が出てきた経験はありません。封筒云々も見たことはないです。
同じ誌上プロの方が「店が用意した怖い人専用台を知らずに押さえて、慌てて逃げた」
そんなコラムを読んだことがあるくらいです。
ワラビ越谷白鳥ユウラクさんへ
たしかにパチンコから雑多な部分が減り、画一化が進んでいるのは感じます。
良いか悪いかは別として…。
この時期にメーカーの方が何をしているのかは、佐々木師匠が書いているパチセブンというサイトのインタビューを読むのもいいと思いますよ。
安田プロすいません。このコラムを利用して僕の忘れられない機種のひとつを書かせて下さい。それは「エキサイトラッシュ」(藤商事)ゆう機種です。この頃(2004年)は僕もパチンコと家業の兼業で、自分含め多くの知人プロがこの機種メインで打ってました。とにかくメチャクチャ甘いのにメチャクチャ爆発力があり、ゲーム性もメチャクチャ面白かった。ところが攻略法が発覚し確かたったの1ヶ月程しか打てなかった。僕は平打ちだったけどいろんな意味で最高の機種です。
匿名希望さんへ
エキサイトラッシュ、覚えてますよ♪
回転体が隠されていて、アツかったらしいですね。
攻略は悠遊道のじゃじゃさんが実践して、記事にもしています!
自分も最初にはまったのは、ビックシューターですね。
あとは、マジカペ、パチンコ大賞。
フィーバー機は、奥村のドリーム7、レクサス、パワフル、初代綱取、ギンパラ、地中海、そしてアグネス。
初代アグネスのステージからスタートチャッカーに入る瞬間が気持ち良かったですね。
今は、地中海か、太鼓です。
なかさんへ
ビッグシューターは多くの打ち手の記憶に残るでしょうね。
V継続のアシストシステムはその前の機種たちから導入されてましたが、貯留解除されそうなハラハラ感も含めて良くできた造りだったと思います。
他の機種も私と似た好みですね。
アグネスは過去の記事にある通り、私も死ぬほど打ち込みました♪
自分も多分に漏れず5号機時代にパチに流れた派でしたが、スロの設定状況の甘さから「パチは羽根物以外無理」と決めつけておりました。当時は根本に引っかかってハネが閉じなくなるファインプレーをチマチマ打ってたりしました😓
その後「デジパチも釘を見て稼働上げれば安定するのでは」と目からウロコが1万枚ぐらい落ちてから釘を勉強し始めましたがパチの師匠的な人や知り合いもおらず、専業が群れているのも嫌で意固地になって独学(パチンコ必勝ガイド等)で立ち回ってました😱
それからはお決まりの玉増やし時代に突入し、下手なりに美空ひばり、銭形、水戸黄門などの京楽系、遊砲RASHや宇宙をかける少女など奥村系、ゼロデザイズにトラック野郎などを打ちまくりました😃
今では必勝ガイドの企画を通じて色んなライターさん達に出会ったり出来たのでパチンコを打つようなって良かったと思っております😂無意味な長文コメント失礼いたしましたm(_ _;)m
ハリマオさんへ
懐かしい機種名が出てきますね、あれからもうずいぶんと経ったこと!
独学派、そういう打ち手は好きです♪