~転換『3-1』~
崩落『2』
自宅に帰り、この家に来てはじめて家族会議のようなものが行われた
そもそも、なぜこのようなことになったのか
収入が無かったわけではない
たしかに安定はしていなかったが、母がその都度用意して来る生活費は、一般的な母子家庭に比べれば決して少なくなかった
不快なものすべてに蓋をしてしまう母の性質が事をここまで大きくした一番の要因であることは間違いないが、問題は支出
きっと、その根本にある「不充足」が原因だったのかもしれない
母は常に充たされることを欲していた
無駄に高い家賃に、多くかかればかかるほど母の心を満たしてゆく病院代
買い物に出掛ければカート二台に山のように食材は積まれ、そんなものをおして揚々とレジに向い、そのスーパーであまり見かけないような金額をさも当たり前のように清算する、そんな行為が母の心を充たすのだった
そうして買ったものの大半は、何年ものあいだ冷蔵庫で眠るだけ
ときに憑りつかれたように大量の料理を作ることもあったが、大家族でも食べきれないような量を作り終えると、憑き物が落ちたように寝床へと帰り、食べきれるはずもない料理のほとんどは鍋や皿のまま放置され、家人が寝静まったあとに、巣食う大量の虫たちの繁栄のための捧げものとなった
きっと、母は病気だった
収入がいくらであろうと、家計に少しずつひび割れが起るような生活でなければ充たされない
会社員であったならば、ひと月分の給金と同額のバッグを購い、夜の世界で大金を得ていたならば、ホストクラブでそれ以上の金額を注がなければ、こころの平静が得られない
どのような収入、環境であっても破滅に向かってしまう、そのような業を背負った人たちの一人が、母だった
このような状況にならなければ、生活水準を改めるなんて考えは、母には思い浮かびすらしなかったはずだ
しかし、一見華やかに見えるその生活を維持することより、内にひめる腐肉のような内情が露顕することの方を母は恐れた
貼りだされた警告文によって、すでに内情の一部はさらけ出されてしまっていたが、ことが終われば、そんな近隣と顔を合わせなくて済むという打算も手伝ったかもしれない
それまでひとたび触れれば狂わんばかりに拒絶していた支出について、皆で出した倹約の案の、その殆どを母は受け容れた
問題はパチンコだった
僕が知人から得た、一人では実践することもできない机上の空論
知人が台まで指示してくれたおかげで勝てていたものを、眼の開けたような思いで、パチンコは勝てるもの、と母に吹き込み続けた
もともと賭博に興味のなかった母だが、夜のお店の客だった駅前のパチンコ店の副店長にこのことを話すと、その副店長は母に対して
「息子さんが言っていることは別として、パチンコは勝てるものだよ。ためしに毎日2000円だけもって遊びにきてごらん」
と言い、それから『F.フェスティバル』のモーニングが仕込んである台番を母に教えるようになった
(C)SANKYO
最初は疑心暗鬼だった母も、これを機にみるみるパチンコにのめり込んで行った
パチンコにおけるモーニングの意味もすら理解していなかった母は、副店長という立場だからこそパチンコを知っていて勝てるのだと妄信し、モーニング以外でも連日のようにその副店長に連れ添って打ち歩くようになった
そうしてパチンコの魅力に捕われてゆき、副店長が母に飽きた頃には、一人であっても時間の許す限り打つようになっていた
そうでなくても金銭感覚の壊れていた母は、同年代の主婦が使い込む額とは比べ物にならない額をパチンコでも張りつづけた
パチンコを覚えて半年も過ぎると、それまでの有名なカード会社に加えて、聞いたこともない金融会社からも督促状が届くようになった
そうして、破綻に繋がる道をゆるやかに進んでいた収入と支出のバランスが、急激な曲線を描いて崩壊へと向かっていった
しかし、破綻の原因のひとつにパチンコがあることを母は認めなかった
「あたしは負けていない」
強い語気で反論しながら、その言葉を自身に刷り込み、病的に膨らんだ自尊心には耐えがたい負けた記憶などは、自らが望んでも掘り起こせぬほど意識の奥深くに埋めてしまうのだった
すでに世間から白い目で見られていたパチンコ
打つ人間はもとより、それで負ける人間などは愚か者の象徴というのが世間での認識であり、人からそのように見られることは、母にとって言葉通りの意味で耐えられないものだった
「だから何度言ったらわかるの。その日は負けた『かも』しれないけれど、あの日に取り返したと言っているでしょう」
「いや母さん、その日は、病院に行った日で、この処方箋に記されている日にちをみれば…」
「日にちを間違えただけでしょ、なんで、そんなにお母さんを苛めるの」
「いや、いじめるとかそういうこ…」
「いたたたた、痛い、苦しい。お母さん心臓が悪いと何度も言っているでしょう。アンタたちはいつまでそうやってお母さんを苦しめるの。お母さんが死んだって構わないというの。アタシが今までどれだけ苦労したと思っているの」
「あ、いや…」
「苦しい、おねがい、おねがいだから、いまだけでいいから、お母さんをひとりにして!!」
投げつけるように言い残して、寝床に潜り込んでしまう
後日になっても、そのことにひとたび触れれば、日によっては世界から断絶されたかのように悲嘆し、日によっては狂ったように喚き散らし、それでも問い詰めれば
「アンタたちと一緒にいると、お母さん死んじゃうわ!!」
と絶叫して、家から出て行ってしまっていた
それまでの自分は、激しく拒絶を示す母をみて、いつか取り返しのつかない事になるんじゃないかという不安な気持ちもあったが、それを掘り下げることによって自身に責任が及ぶことの方を怖れた
撥ねつけられたことを良いことに、これで自分の責任は果たされた、もし何か起きてもこれで母の責任だ、と不安な気持ちに蓋をした
その結果がこれだった
根本的な解決にはならなくとも、せめて家を出るまでの間だけでもパチンコを我慢して貰わなければならない
「ねえ、母さん」
「…」
「母さんはパチンコで勝っているかもしれないけれど、打っているところや、パチンコ屋さんに入るところを不動産屋のあの担当さんに見られたらどうするの」
「…」
「負けることだってあるだろうし、少しの間だけパチンコはやめておこうよ」
「…」
「もし仮に見つかって、怒った不動産屋さんが強制的に家の中に…」
「わかってるわよ!!」
「…」
「…」
「仮に副店長さんが、またモーニング台を教えてくれると言ってきても…」
「わかったって言っているでしょう。何度も同じことを言わないで!!」
母は、自分とは逆にある窓に顔を向けながら、怒りにわなわなと身体を震わせていた
養ってやっているアンタから、そんなことを言われたくない、と背中が訴えているが、不動産屋という単語を聞いて必死に堪えている
確信は持てなかったが、いままでのことを考えれば、これ以上母を追い詰めることは出来ない
そして、もう一つの問題、今後はどのように生活していくのか
母がいままで用意してきたお金は、今後も継続的に期待できるものではない
残金の支払い、家を引き払った後に来るであろう家主側の意向を目一杯に汲んだ莫大な修繕費、今までの浪費によって積み上げられた多額のローン、そして母の病院代、それらを、生活費を稼ぎながら僕や兄の給料だけで返済していくのは、世間知らずの自分ですら眩暈のするような労苦であることは、想像に易かった
そして僕らが出した答えは生活保護というものだった
ぞれまでも話が出ないことはなかったが、少ないながらも稼ぎのある自分と兄が同居しているかぎりは受給できないだろうと、話は終わっていた
しかし家を引き払うとなれば、母一人を別の世帯にして満額の受給が可能となる
それまで、あまり縁のなかった年の離れた兄と暮さなければならないことに一抹の不安は感じたが、そんな事を言っている場合ではない
話が決まるとすぐに、今回のことで必要なお金を用意するための、その後の生活費を支払うための、共通の通帳を作った
互いに一万円ずつ入れて、通帳と印鑑は兄が持ち、キャッシュカードは自分が持った
それは、もう後戻りが出来ないこと、これが現実であることを互いに認識させるための儀式だった
そうして、用意しなければならない大体の金額が見えてきた
二部屋借りるために必要な最低限のお金に、これからの三ヶ月でかかる生活費、そして返済分
目のくらむような数字だった
今回の件で、母が用意すると言った金額はとても現実的ではなかったが、ざっと計算して出てきた金額を揃えるとなると、少しでもそれに近い金額を用意してくれることを祈るしかない
兄と自分は互いの負担分を確認する
現実感が沸かないその大金を用意するには、一般の労働者が働く倍以上の時間を捧げなければならないが、そもそも、それだけの時間を働ける場があるのだろうか
しかし、出来る出来ないではない
やらなければならない
~転換『3-2』~