パチンコのメッカと言われる東京上野に、パチンコ博物館があったのをご存じの方もおられると思います。

現在は千葉県旭市そして埼玉県さいたま市で再度オープンをされていますが、館長の牧野さんが所有をされてる2000台を超すパチンコ台を吟味して「パチンコ博物館」として初めて上野にオープンをされました。2004年のことでした。

そしてHPでも日記形式で紹介をされていました。試打ができる台を4台設置し、定期的に変更をされていました。常連の少年が下手な大人よりずっと上手く、将来が楽しみだ、と書かれたりしていましたね。打ってみたい機種があり、食指を動かされましたが何分自宅から遠い。念願が叶ったのはオープンから2年後の2006年。ネットで知り合ったパチ友が東京でオフ会を催すということで、これに参加させていただいた時でした。

2006年12月9日。早朝より電車で出発し東京上野にはお昼過ぎに到着しました。上野駅からは手製の地図をもとに迷いながら、パチンコメーカーの看板に雰囲気を味わいつつようやく(意外と小さく)「パチンコ博物館」の標識を発見。

緊張しつつ中へ入り、受付けで料金を支払いパンフを受け取り、さらに奥へ。液晶の部分だけを展示しオブジェになっていた空間でどなたかとお話されていた牧野館長さんに少し挨拶をして、順路通りに古い台を拝見しました。

「小物」など手打ちの台。1台1台に説明が付いていて、チューリップ台のチューリップは開いた状態で展示してありました。私が初めて打ったのも、正村ゲージのチューリップ台。ただ「チンジャラ」音だけの台でしたがそんな台を懐かしく眺めました。電動式に変り、「ゼロタイガー」から始まるいろいろな個性的な羽根物。「フィーバー」から始まるデジパチ。「麻雀物語」で美麗液晶機が登場。その後だんだん液晶が大きくなっていったことが分かります。権利物「コスモアルファ」の前では懐かしくて長居しました。

そして1周した後、緊張しつつ牧野館長さんへいくつかお尋ねしました。私が1984年に打った京楽の権利物、当時お店では「センターコーナー」と呼ばれていましたが、その虫食い状3つ穴回転体付きの特徴などをお伝えして正式名称を尋ねました。そんな機種は当時たくさんありましたが、恐らく「テンプター」だと思います、のお応えを頂きました。

4ケタデジタルの機種名などもお尋ねしました。メーカーの営業マンがミスをしたため、お店の事務所で3時間も正座をさせられたといったいろんな昔話も伺うことができました。そして試打コーナーの「お竜さん」などを打ち、懐かしむことができました。最近まで「ゼロタイガー」が打てたのですが、外された後だったのが残念でした。玉の補給は牧野館長さん自らされていましたね。

この上野のパチンコ博物館はおおよそ7年間営業をされたようですが、その間私は3度訪問をさせていただきました。2度目はパチドランカーKさんのマイホチェックをさせて頂く機会に訪問、この時は必勝ガイド誌ライターのクニさんが牧野館長さんの代理をされていました。

クニさんとパチンコ談義をさせていただき、あのカイド誌の名物ページ「勝者に学べ」に出てみたい意向を告げると、是非出てくださいと言っていただいたことが応募の後押しに繋がりました。

3度目の訪問は、その「勝者に学べ」で安田プロと対談をさせていただくために上京した時。安田プロからは「スーパーセブン」という台を保持していますので、牧野館長さんへいらないか告げてほしいと伝言を受けましたのでお伝えさせて頂きました。

2020年7月にレトロ台専門のゲーセン「タンポポ」が東京福生市にオープンされました。私は東京よりはまだ近い大阪へ遠征に行く機会に、同じレトロ台専門のゲーセン、難波の「スリーセブン」や天王寺の「古台遺産」へよく行きました。しかしどちらも閉店してしまったのが残念でなりません。昨年も、全国でココにしか残っていないと思われる機種が何台かあるお店へ高速道路を利して行ったりしました。そこに行けばまだ残っている貴重なお店がある、初めて訪れたお店で初見の台と対面をする、そういった古き良き時代に思いをはせる今日この頃です。