6号機ほど業界にダメージを与えそうなことは過去にもあったのでしょうか? 

そんな質問というかテーマをいただきました。結論から先に書きますと、過去最大級のダメージとなることでしょう(笑)。

何を笑っているんだと思われるかもしれませんが、ここまで悪い状況が重なるともう笑うしかないってな感じでして。むしろパチスロが未来にも残るために避けては通れない苦難なようにも感じています。雨降って地固まるではありませんが、そのような契機になってくれれば。そう思うしかないのです。

○3号機以前の遊技機規則改正

6号機ということは、過去に5回の遊技機規則改正があったということ。その都度、このような一斉撤去があったかといえば答えはNO。大規模な撤去は2回目となります。

1号機(1985年に設置開始)パチスロが法制化されます。それまでは全国的な基準が存在せず、各都道府県から認可を受ける必要がありました。検定制度はその名残ですね。保通協で適合を受けるだけでも良さそうですが。その結果書だけではなく各地域の公安委員会から許可を得られなければ、その地域に設置することはできません。

2号機(1988年に設置開始)は、1号機の遊技機規則からガラリと変わっています。ストック機のルーツとされる“ボーナス抽選の吸い込み方式”が廃止されることとなりました。ただ、フルーツゲーム(小役の確率アップ区間)やSINボーナスの集中といった新機能がデビュー。新たな楽しみも用意されていました。

 

3号機(1990年に設置開始)は、2号機の劣化版。フルーツゲームが廃止。ボーナスの獲得枚数やSINの集中の期待値が下げられることとなりました。誰が打つねん。悪い時期のことを“冬の時代”と言ったりしますが、3号機は闇の時代かもしれません。

この頃はパチスロ自体が黎明期。全国の総設置台数も 約70万台弱(現在は約150万台)フロアの隅っこにパチスロがあるかどうか。ホールとしても稼働すれば御の字。利益よりも稼働してくれれば十分と思われていました。パチスロで勝たれても、その分はパチンコに戻してくれるような状況でした。

年間の新装回数も2回とか少ないホールが圧倒的に多く。そんなところでコケられても半年間は通路になったシマとお付き合いしなくてはなりません。不人気となってしまった3号機は、違法改造されてパッキパキにチューンナップされるケースが相継ぎました(裏モノ)。そりゃそうです。目新しさもないんですから。

と、号機の数字は変わっていきましたが、一斉撤去はここまでありませんでした。もちろん、3号機時代になってから2号機以前を導入することなどはできません。しかし、その前に購入している機種は、お店の所有物という認識が強かったのでしょう。「そのうち自然と壊れて撤去せざるを得なくなる」そんな成り行き任せとなっていました。

壊れた機種からパーツをかき集めて、なんとか完動品としているのはよくありましたね。部品交換なども勝手にやると違法ですよ。まあ、違法だの遵法だの。そんな意識がしっかりしている時代ならば、そもそも裏モノとか出てきていないでしょ(笑)。

 

○初の一斉撤去は20年分

4号機(1992年に設置開始)は、3号機時代の反省を踏まえて(?)遊技機規則をフルモデルチェンジ。リプレイもここから登場しました。後に爆裂AT機やストック機が出てきたように、途中での規制緩和も大きかったですが。定期的に新たなゲーム性が生まれる土壌となりました。

4号機時代もまだグレーな部分は多く、4号機の裏モノもありましたが、取締りが厳しくなったことと併せて、徐々に姿を消していくこととなります。裏モノにしなくても、AT機やストック機がパッキパキ連チャンしてくれるので、ホールとしても危ない橋を渡る必要がなくなったのです。

まあ、そんなパッキパキなものが蔓延るのが許されるはずもなく。2004年に5号機への遊技機規則改正となります。この流れで、既に検定(当時は3年間)が切れている機種は2006年6月で撤去。そのほかの4号機も検定が切れ次第撤去と決まりました。初となる一斉撤去です。直近の機種だけではありません。1号機からすべてです。一斉ですからね。お別れツアーをするのに忙しかったですよ(笑)。

その撤去が始まった2006年といえば、パチスロが過去最高の設置台数となった年でもあります。その数なんと約200万台! このパチスロバブル崩壊によって閉店したホールもありましたが、続けて営業するホールでもベニヤ板による間引き営業をすることになります。

今回の6号機への移行でも、パチスロコーナーの縮小やベニヤ板がクローズアップされるのは、このときの光景を想像してのことでしょう。いや、うん。今回は、台数こそそれほどですが、それよりもアマいもんじゃないと思うんですね。

 

○5号機の遊技機規則、実は優秀だった

5号機(2005年に設置開始)の評判は当初最悪でした。ストック機と比べれば、粗利は実に低く。それまで業界の売上を支えていたユーザーの求める射幸性にも遠く及ばない仕様となってしまいました。

しかし、初期5号機に目を輝かせる人種も少なからずおりました。2006年に古い機種たちのお別れツアーをやっていた層です。ストック機に飽きていた人たちが、ノーマルやそれに近いゲーム性に戻ったことで目を輝かせたのです。

それでも、2号機にあったフルーツゲームもありません。4号機のノーマルでもできたことも数々が禁止されてしまっています。でも、5号機には“明文化されたRT”という新しいゲーム性も用意されていました。ちゃんと新鮮な部分もありました。

この人たち、4号機のイケイケな時代はどうしていたのか。2006年まではレトロ台が残っているホールを探して打っていました。近くにスロゲーセンがあれば、そこでもゲームとしてのパチスロを楽しんでいました。まだ、ホールに近いところに興味があったり、時間を割いていたのです。

 

○5号機の一斉撤去がマズいと思う理由

6号機(2018年に設置開始)の遊技機規則を考えてみましょう。有利区間などナビ関係のものは内規扱いと書かれていないので、ひとまずさておきます。ボーナスの枚数が減らされた&出玉率が下げられた。変更点は以上です。新しいゲーム性につながる部分はまったくなし。世が世なら裏モノ化してたでしょうね(笑)。

5.9号機から加わった有利区間の上限問題もあります。射幸性という分かりやすい部分で、そこに納得がいかない人とちが離脱するだけでしょう。スリープ層が帰ってくるなり、新たなユーザーを掘り起こせそうな変化は期待できそうにありません。

2006年と比較して、レトロ台を残しているホールも減りました。スロゲーセンも減っています。5号機後半以降の機種たちに満足できていない層が避難する場所も減ってしまっているのです。そんな環境の問題もありますね。補充する倉庫がないんですよ。

 

○6号機時代への希望

ね、もう笑うしかないでしょ。ネガティブの先にあるポジティブです。そもそも射幸性を頼りに設定1をズラっと並べる手法は、4号機とともに終わってなければならなかったんですよ。それ以前のホールには地域の社交場という側面がありました。そして、パチンコ・パチスロは大衆娯楽と呼ばれていました。

なにをもって、良い時代と言うのか。立場によって大きく変わるかと思います。ただ、間違って跳ねることを考慮してベタピンの営業をして利益が最大化する。そんな時代はとっくに終わっています。射幸性対策で、今後もそんな時代を望むことはできなくなっています。

それならば、どうやって営業していくのか。ユーザーがなにを求めて来店するのか。そんな大衆娯楽の初心に戻るチャンスとも考えられるのです。変化がなければジリ貧という状況でしたし。

 

ホールだけではなく、メーカーもですね。いや、この関係は難しい部分でもありますけど。ホールが変わらなければ、メーカーも(売れないから)作る機種が変わらないですし。ただ、この厳しいレギュレーションだけに、考え抜かれた面白い機種を作ってくれるんじゃと期待しています。ここで作れたらホンモノ。

ホールの大型化、小型店舗の苦戦、交換率の問題。広告規制……。絡む要素はたくさんありすぎて困りますが。機種の射幸性に頼らない社交場。機種の射幸性に頼らないホンモノのパチスロならではの面白さ。そんな基本に立ち返る機会となってくれれば。そう希望しています。