「なるのは簡単、続けるのは困難」それがパチプロ。「意味としては勝ち方を理解して、それを実践できれば、食うのは難しくない。ただ…」ということになる。

台や打ち方を見つけられない人は早い段階でやめていく。でも、勝てる人種も大方の人は飽きる、煮詰まるなんですよ。

友人にタッチーという元プロの人がいる。彼の場合は、むかし万年釘の日当3万の羽根モノを追っている時に、ある日突然打つのが苦痛で止めてしまったという。
キレちゃったんだろうね。プロ生活を続ける気持ちの面で。エネルギッシュに動けて、あぶれている姿を見たことがなかった打ち手でも、単調な毎日に飽きたらこうだ。
今は優しい伴侶と住んで、プロと社会人の出戻りを繰り返す間に身につけたノウハウを元に商売をやっている。こっちの方が向いているんだと、自分も会う度に喜んでいるのです。

当サイトのポチもそうか。今はまたプロ生活をしているけれど、父親のアーティスト気質を受け継ぐがごとく、若い頃は可愛い顔を活かして芸能の世界を目指したことがある。
なんというか、「特別な何かでありたい」そんな意志を感じるんだな。
そんな類いの人間にとって、路傍の石たるパチプロは内心耐え難いものかもしれない。あいつも出戻り組だ。

90年代の打ち手にとっては知らなきゃモグリだった「クロムノート」というWEBサイトのメンバー、コウアンさんもやはりパチプロに精神的に耐えられなかったのだと思う。釘の数値化による判断等、凄い実績を残した人だから、技術的な不足は全くなし。
それでも、パチンコを離れて介護の世界を選んだのは心の問題だと思う。ていうか、必勝ガイドの対談登場時に心境を話してくれたんだな。
彼の場合は人との繋がりを隔絶しがちなパチプロ生活に耐えられなかったのだろう。数の冷徹な世界のパチンコに対して、あまりにも繊細なロマンチストだったし。孤独は許容できる人とそうでない人を残酷なまでに分けるものだ。

結局、続くのは深く悩まない人ということになる。「日々の生活の糧が得られ、ダラダラと毎日が続けばいい」というタイプだ。社会の中の自分や他者との繋がりは無頓着というか、ある程度諦める形。もしくは、勝つこと&お金が全てのドサ健タイプ。
でも、自分はそんな具合の考えない人と友人にはなりたくない。難しいものですね。

あっ、自分ですか? 続いたのは悩まないバカなのも当然ありますが、早くからメディアとの兼業態勢になり、二つの世界を己の中に持てたから。本当にそれだけだと思います。