「エロイム・エッサイム。エロイム・エッサイム。我は求め訴へたり――」

薄暗い地下の古部屋。ドス黒い苔が幾重にも堆積した、朽ちた土塁のような壁を、松明の火が赫く照らしていた。

部屋の中心には揺らめく人影。節くれだったみすぼらしい四肢に、もはやローブとも呼べない襤褸襤褸の破布を纏い、口の端からねとついた涎が垂れているのも気にせず、狂気に染まった目だけをギラギラと輝かせ、一心不乱に祈っている。

「ああ支配者よ、いと高き我が主よ。名状しがたき冒涜的な産声をあげ、時空より踏みい出てて、こなたへきたれ──」

人影の足元、汚物を塗り込んだような薄黒い床板には、銀の粉で描かれた幾何学模様があった。円と直線と数式で構成されたおぞましい魔法陣。心が鋭敏な者は見ただけで発狂するに違いない、禍々しい図形だった。

男は一度、湿った咳をして、それから呪文をこう締めくくった。

「破滅の胎児よ、とこしへの夢から醒め、顕現せよ……!」

部屋の全体がグニャリと歪んだ。後の調査によると、この瞬間、地下室を中心とした半径25マイル、マサチューセッツ州の北部のとある都市にいた4000人のうち、神秘的な感受性が特に強かった236名が突然発狂、あるいは昏倒していたという。

まさしくその災禍の主軸に位置する銀の魔法陣。それを目前に立つ男は、足元が生き物のはらわたのように蠢動するのを感じながら、ついぞ感嘆の声を上げた。

「ああ、我が主よ――! イア・イア! クトゥルフ・フタグン!」

地鳴りが響く。腹の底を揺らすような、本能的に死を予感させる軋音。地下室の天井から、砂埃と死んだ虫が落ちてくる。その塵埃のいくつかは銀の魔法陣の内側に落下し、シュッと音を立てて刹那のうちに焼滅した。どこからか獣の咆哮のような、冒涜的な雄叫びが聞こえる。耳孔や鼻孔、そして涙腺。男は体中の孔という孔から血を流しながら、それでも両手を広げ歓喜の表情を浮かべていた。

そして次の瞬間、すべての揺れと音が消えた。

男の眼の前の魔法陣。

その上には「スマスロ 革命機ヴァルヴレイヴ」があった。

男はしばらくの間その場に立ち尽くし、一旦松明を持ってその辺りを照らしたりした。が、他には何もなかった。その後、落ち着くためにキャメルを一本吸って、それから意を決して魔法陣の周りをぐるりと回って四角い筐体を隅々までチェックした。背面からは家庭用電圧加工(米国東部対応)済みの電源ケーブルが伸びている。

男はちょっと迷ったあと、とりあえずそれを地下室の壁に据え付けのコンセントに刺してみた。

ブオン! という音を立てて液晶が輝く。男はビクッとした。

「我が主よ……」

一回ちょっと我が主よって言ってみたが、ヴヴヴは答えない。男は腕を組んでしばらく考えた。この箱はなんなんだろう。どうもカジノのスロットマシンのようだが、銀のカギを使った召喚の儀式で現れたからには、きっといと高き支配者に違いない。のだが、あまりそんな感じはしない。

果たしてそんな名状しがたき冒涜的な存在を撮影していいのかどうかちょっと迷ったが、埒が明かないので一回その辺りの作法は諦め、スマホでその姿を撮ってXに投稿した。

悪魔召喚したら何かこんなん出てきたんやが。なんこれ。知っとるヤツおる?(意訳)

腰のストレッチをしながら待ってると、返信があった。スマホの画面を一瞥して、男は深く唸る。それから納得したように頷いて。地上へ続くハシゴに手をかけた。悪魔を祀る神殿を作るための、部材を調達しにいくためだ。

そして誰もいなくなった地下室。男が置き忘れたスマホの画面が、煌々と輝いている。Xのリプライ画面。そこにはこう書かれていた。

ガッデム。日本に旅行に行った時軽い気持ちで座ったそいつで500ドルもスッちまった。おかげで彼女とのディナーがコービー・ビーフからバーガーキングになったけど、恐ろしいことに翌日俺はまたそいつに座ってたんだ。ホーリーシット! これを書いてる今もまだ500ドル寄付したくなってる。いったい俺はどうしちまったんだ。ハレルヤ!