今回のテーマはこの道を往けばということなんですが、10代後半から20代の頃は近場であればバイクで移動していましたね。当時は原付と250ccの両方を持っていたのですが、目的のホールまで10km程度であれば原付、それ以上であれば250の方で繰り出していました。途中、ヘルメットのシールドから入り込んでくる風や肌に当たる風で季節を感じたり、景色の移り変わりを楽しんだり、そんな風に俗世間から離れたひとときを感じながらホールへ向かうのは悪いことではありませんね。ただ、移動距離が長くなると、勝った時はいいんですが、負けた時は帰りの足取りが重くなると言うか、どうにもスッキリしない気分でエンジンをかけ、家路を急ぐことになります。何で当たらないのかねぇとか、何であんなにハマるかねぇとか、まあフルフェイスのヘルメットの中で愚痴をこぼしながら帰るわけです。

 そんな気分ではバイクに乗りながら流れる景色を楽しむなんてことは当然できず、とにかくさっさと帰ってまた明日頑張ろうと、そんな風に気持ちを落ち着けるのが関の山です。勝った時はその逆で、非常にゆとりを持った気持ちでアクセルを捻り、まあどこかでお茶でもして帰ろうかと、人間調子がいいものです。

 20代後半になると車に乗るようになり、当然ホールへ行くのも車でという日が増えてきます。特に雨の日や冬場はバイクに乗るのはなかなか厳しいものがあるわけで、車は本当に楽です。お気に入りの音楽なんか聴きながらホールの駐車場に入り、それで勝った日にはなかなか気分良く帰ることができるわけです。そう言えばホールに隣接している駐車場の収容台数が少なく、第二駐車場を作った店がありました。そこはホールからちょっと離れており、第二に停めてから目当てのホールに行くにあたっては専用のマイクロバスを運行させていました。
 何度か友人と一緒にそのマイクロバスに乗ったことがあるのですが、非常に恥ずかしいと言うか、この姿は親には見せられないなと、友人と会話したことを思い出しました。何と言ってもパチンコ店に行くためだけのマイクロバスでして、行きはともかく、帰りはみな目がドローンとして機嫌が悪いのです。そんな店に行くお前が悪いと言われそうですが、地域の中ではわりとマトモな方でしたので、一時期はよく通っていました。一発台のターゲットⅠで一台で32個か33個、役モノ入賞でハズしたのはその店です。

 そんなこんなで、バイクや車でホールに行ったりしていたのですが、30も半ばを過ぎたら公共交通機関、すなわち電車で目的のホールの最寄り駅まで行くという手段が一番安全で合理的という結論に至りました。勝った負けたで一喜一憂するのは別段構わないでしょうが、その結果、運転に影響が出るのであれば、それは非常にまずいわけです。勝っても負けても安全運転というのが理想だと思いますが、自分はそこまで人間ができていないので、どうにも負けた時はイライラしながら運転するとか、そんな風になることもしばしば。また、朝から晩まで打ち続けた時など、非常に目が疲れるわけです。特に終日パチスロを打った日には眼精疲労が著しく、目薬は必須でした。
 4号機全盛期は目押ししてナンボの機種が覇を競っておりましたし、打ち手としては決していい加減な打ち方はしてはならずと、わりと真面目にハズシやら何やらに勤しんでいました。それできちんと納得のいく勝ちとなった日には眼精疲労も肩の疲労も何とか割り切って我慢することもできるのですが、大負けを喰らった日には目も肩も肘も疲れ果て、バイクや車を運転するのは非常にしんどいとなるわけです。

 ただ、電車等の公共交通機関を使っても、大負けした日には帰りの気分はいいわけありません。特に都心のホールから帰る時など、帰りのラッシュ時間帯と被ったりして、ぎゅうぎゅう詰めになりながらふと思うのです。普通に働いている人たちが疲れた顔をして満員電車に乗り、家路に急ぐというのに、自分はパチンコ (パチスロ) 打って負けて家に帰る、これでいいのかと。しかしながら、大勝ちした時などは結局真逆の気分になるわけで、前述のバイクの時同様、人間調子がいいものです。

 テーマとはちょっと外れてしまった感がありますが、ホールに行く途中の景色とか、季節感とか、精神的に余裕がある時はふと立ち止まってそんなことを考える時もあると思いますが、やはり勝ち負けが絡むことゆえ、そういったことより、今日は何を打つかとか、狙いの台が取れなかったら他に何を打つかとか、そういった ‘現実’ を最優先してしまうのですね。その意味ではDOK羽根甘さん言うように亡き田山プロの日記ではホールに向かうまでの季節感や情緒感といったものがさりげなく表現されており、氏は単なるパチプロではなく、文筆家だったと今もって思う次第です。