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そう言えば2010年登場機種で一つ忘れている名機がありました。版権モノが徐々に幅をきかせ始めていた時代。メーカーオリジナルコンテンツ、セット数上乗せ型、良質なオリジナルサウンド、豊富なモード推測、設定推測要素。

その機種とは……

マジカルハロウィン2

初代は残念ながら打った事が無いのですが、前回ご紹介した新鬼武者よりも前の2010年1月に登場したマジハロ2は、ゲーム業界でお馴染みのコナミがパチスロ業界に参入して生まれた機種。

ウィキペディアにも

1999年6月、コナミパーラーエンタテインメントとして設立、2002年11月より現社名となる。当初はパチンコ機の液晶表示装置・映像コンテンツの開発・製造・販売を手がけたが、OEM提供のためKPEとして表に出ることは少ない。東京都カジノ構想が持ち上がった時は、重点をゲーミングマシンにシフトしたこともある。

2004年からはパチスロ機本体の開発・製造・販売に参入。4号機時代は試作機の開発に留まり、実際に販売にこぎつけたのは5号機からとなる。主にコナミグループのゲーム等各種コンテンツを原作とした機種や、マジカルハロウィンシリーズ等の萌えスロを手がけている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/KPE

こう書かれているように、萌えスロのオリジナルコンテンツとしてはツインエンジェルとともに異例のヒットを飛ばし、KPEを代表するシリーズとなりました。マガジンのネギ坊さんがほれ込んだ機種としても有名になりましたね。

ツインエンジェルが少しエロ寄りの液晶演出を搭載していたのに対し、マジハロは正統派(?)萌え路線。いつまで続くか分からない「カボチャンス(ART)」、そしてエウレカ同様に歌で残りストック数を示唆する仕様がバランスよくマッチしていました。

キンカボでコインが揃って「キキキキーン♪」。

スーカボのどこまでもイケる感。

60枚しか出ないレギュラーボーナスが引いた状況によっては激熱に変わる仕様。

魔界旅行が終わった瞬間にボーナスを引く寂しさ。

そして宇宙ファイヤー。

エウレカと同じボーナス+ARTですが、それとはまた違う「飽きない工夫」がふんだんに散りばめられていた台でしたね。

また、これはあくまで体感で裏付けデータはありませんが、マジハロ2は高設定域においては雑誌発表(メーカー資料)の機械割よりもホールでの動き方は甘かった。そんな声が今もネットには残っています。

それ故に、マジハロ3の後、「粗利NO.1!!」なんてマジハロ4の業界向け資料が出回っていた時には色々な意味でガッカリしたものですが……。

ちなみに、スロプー視点で見ても、マジハロ2は十分狙いにいける機種でした。

ホールの扱いは人気に比例するわけですが、準メイン的な扱いをするホールも多く、それでいて一見システムが難解。

しかし、丁寧に見ていけば朝一のモードでリセットを見抜ける、通常時のモード移行観測が偶奇推測に役立ち、ARTストックの乗せ方が上下推測に役立つ。さらに内部状態の高確低確が絡む。

エヴァのように、ココ(小役)だけ見ておけばOKという決定的な推測要素は無く、様々な要素を総合的な見る判断力が必要だったからこそ、技術介入ならぬ「知識介入」が活きる台でした。

あと、地味にART中のカボ揃いに中押しの滑りで1確(液晶上の変化はなし)なんてマニアックな技術介入もあり。

今もしホールに設置されていても十分に通用するクオリティの台だと思っています。

広告宣伝に大きな転機となった東日本大震災

さて、この頃のパチスロシーンを語る上で欠かせないのが東日本大震災です。

その当時のリアルタイムな状況については、ボクが悠遊道がスタートした当初に書いた「パチプロの3.11」をお読み頂ければと思います。

 

あの忌まわしき震災の後、関東のパチンコホールの多くは輪番休業を実施しました。

節電が謳われ、世間の自粛ムードに真摯に協力していたホールが大多数だった中、ごく一部のホールが震災を利用するような広告宣伝を行ってしまいます。

エウレカのキャッチコピーであった「波ニ乗レ」と津波をかけてエウレカを推す、海物語を推す……

日本中がかつてない異様な雰囲気の中、空気を読まず「利己」しか考えない人間たちが残念ながら存在し、煌々とネオンを灯して営業するホールに日本中から大バッシングが浴びせられました。

パチンコにせよ、パチスロにせよ、他業種に比べ多量の電気を使用するのがこの業界。それと元々他人を不幸にする側面を持つギャンブルである事、在日朝鮮人が多いと言われる業界体質、そしてヒステリックな感情。それらがごちゃまぜになった末にパチンコそのものが完全なる悪であるかのような、批判を受け、その影響を受けて2011年6月15日に警察庁からの通達として広告規制が入ります。それでも改善が見られない業界は同年7月13日に更なる厳しい広告宣伝規制を通告されました。

それまで、〇〇番台が設定6、本日全6機種あり、のような直接的な表現も含めたイベント集客をメール・ブログ等で行うのが常態化していた時代、それらのすべてにNOが突き付けられました。ライター来店についてもこの時にNOと言われています。

勿論、その後も業界は抜け穴を探し続けていくのですが……。

 

そうして困ったのがボクらのようなスロプー。社会通念上、パチプロ・スロプロなんてものが困ろうが知ったこっちゃありません。

「今まで好き勝手やっておいて何言ってんだ」の一言に尽きるわけですし、そういった批判には一切反論する術もその気もありませんが、だからと言ってご飯が食べれなくなったら死ぬしかない。

お恥ずかしい話ですが、それでも意地汚く生きていこうとするわけなんです。

パチンコと違い、打ってみなければ設定が分からないパチスロの場合、今まである程度お店からのヒントがあったから立ち回れる部分がありました。

設定推測に関しても所詮は「推測」。4号機時代の手入れ判別は勿論、今のような設定6確定、設定456確定なんて演出がなく「推測」でしか設定が見えなかった時代、特に出玉からは設定が見抜きにくいART機においてお店発表の答え合わせは立ち回る上での重要な要素だったのです。

しかし、それらが封じられ、更に世間のムードに合わせるかのように設定状況が目に見えて渋くなっていったこの時、苦しんだスロプロも多かったと思います。

その後、自分が出した答えは「パチンコにも活路を求める事」でした。

神たま2~あっぱれ超みこし祭り~

新鬼武者から続く荒波ART機の流れ、そして東日本大震災。

なんか色々な事に疲弊していたんでしょうか。自分でも理由を思い出せないのですが、なぜか心に残っている機種がありました。

それが、神たま2。上下の動画は両方とも神たま1音源ですが……w

ひぐらしのようなマニアックな台を除いて、目押しがほとんど意味がなくなっていた時代。せめて当たっている時くらい気持ち良くさせて欲しい、という思いがある中、なんかこの音楽が心に残ったんですね。

このシリーズは2011年に登場した神たま2で知りました。

そこから、過去のAタイプ機種も打ちたくなり、たまたま近くにあったので、完全な趣味で何度か打ちに行きました。

……

パチスロとしての「コレ!!」っていうポイントは全く記憶に残っていませんw

ただ、過去の記憶を掘り返そうと昔書いていたブログを見返してみたら、初めてコメントを頂いた日記で打っていた機種が神たま2でしたね。

そして、こんな画像もありました。

当時、「設定1でも全く抜けねぇじゃねえかこの野郎!!」と回収騒動にまで発展したサクラ大戦3。

そんな激甘と呼ばれた台で設定1の確率分母10倍以上のハマリをかましていたようです。

ちなみにエナで打った台じゃありません。フツーに設定狙いに行って、気づいたら辞められないところにさしかかって

「あぁ……嗚呼っ!!(©ドラ広さん)」状態になった結果です。

 

そんな素人に毛が生えた程度のスロプーの日常。自分の思うがままを綴っていたブログが、後々安田さんとの出会い、そして悠遊道に繋がるとは、ひとかけらも思っていなかった頃のお話です。

 

vol.4へつづく