今回は2月より「規則改正」の為、猫店長の昔話は1回お休みをいただきたいと思います。

「規則改正」は簡単に言うと、

①1月31日までに”みなし機”(車で言う車検切れ)を外しなさい。

②これから作る台は出率・吸い込みを控え、時間消費を穏やかにしなさい。

という内容です。①の”みなし機”は都道府県により見解が異なり、1996年の社会的不適合機撤去時のように”正直者がバカを見た!!”になりかねない状況です。

色々な方が言ってるように、今回の規制でも根本的には何も解決しないと思います。

〇依存症問題

〇業界低迷、客離れ・・・

何故、現在のように4円が客離れして”とてもサラリーマンじゃ打てない”状態になってしまった

のか?どこから歯車が狂ったのか?キッカケを私なりの持論で書きます。

まぁそんなの知ってる、当たり前だろ・・言わずにお付き合いください(笑)

全てはここから始まった!!

 

1998年当時、ダイナムさんは”チェーンストア理論”全店舗統一基準、製品を調達して値引きしてもらい、店舗も木造で作ると同じ台数でも通常の6掛けくらいの出店コストで済むと、社長と幹部がセミナーでノウハウを全て明かしました。

※当時は50店舗くらいだったと思います。資料には2010年550店舗体制と書いてます。

1993年に58店舗を展開していた宇宙センターさが、負債総額1,400億円で倒産(民事再生)した記憶があり、この頃の経営者は中々県境を越えてまでの出店には消極的でした。

このセミナーでダイナムさんの社長は、普通は借入をして出店すると返済で苦しくなるが、それは間違い、同社のように銀行融資だけに頼らず資金調達すれば、出店すればするほど楽になる。

“低い台粗利で大衆娯楽が可能”と実際に全ての財務諸表まで公開したのです。

このセミナーを受講したオーナー、幹部は刺激されて、ダイナムさんを追い越す!!

そんな気持ちが芽生え、目覚めてしまったのです。

実は私もこのセミナーを受講し、ダイナムさんのファンになりました(笑)

まだこの時点ではダイナムさんは2.5円交換が主流(既に3.5円も一部あったが)、他の大手さんも2.5円~3円くらいの時代です。マルハンさんのパチンコタワーも2.5円でCRモンスターハウス、ギンパラ、バトルヒーロー、綱取、クイーン辺りが全盛の時期です。

この頃は新台が発売されると、メーカーが直販と業販(代理店)に先ず台数を割り当てて、業販分は代理店が好きなホールに、好きな台数を自由に入れる事が可能だった為に、”お付き合い”販売は滅多に無かったのです。

どの店もバラエティーなど殆ど無くて、1機種1BOX(30~40台)又は最低半列(15~20台)がスタンダード。

例えばアレパチ「エキサイト」が最初に30,000台発売したら、5,000台が直販、25,000台が業販みたいな割り当てになります。代理店A社は大きいので業販分の1,000台となり、どこのホールに入れるのも自由な為に、代理店A社の所長は「元奥村の部長だから奥村は強い!!」といった特色がありました。

中には一次代理店に丸投げして直販をしない(当時の竹屋)ところもあり、この一次代理店の下に、他の代理店が付くみたいな図式もありました。

この為に、ホールは複数の代理店、直販を使い分けていれば欲しい機械は大体手に入りました。

私の記憶で昔の機歴”お付き合い”は

平和「バイキング」又は「ジェットスピナー」で→「麻雀物語」

竹屋「CRアニ丸」→「CRモンスターハウス」

西陣「撃墜王」→CRユニットを持って来る。

※当時はCR黄門ちゃまの爆発的ヒットでCRユニット(カード式玉貸し機)が不足して、夜中に券売機、ユニットが盗まれる事案まで発生!!

このくらいでした。

それが、いつの日からか?ホールが代理店又は直販で注文→メーカー営業所の所長決裁→合否に変わり、一部のメーカーは機歴うんぬんの図式に変わったのです。

また、このダイナムさんのセミナーから一年くらい経った頃、新潟の玉三郎さんが”何でもアリ”営業を開始し、盛況した為に全国からホール関係者の視察が訪れて真似をしました。

(等価に近い27玉交換くらい、移動、共有自由)この頃から高交換に走り出したと思います。

そしてダイナムさんは標準店舗が480台、650台など決まりがある為に、それ追い越せ!!と大型化が進み、建設費、機械代の高騰、付き合い販売、一物一価で等価への移行となり、メーカーも高交換率を基準に開発し、現在のつまらない環境に至ったと思います。