ツイッターで佐々木師匠他、一部で盛り上がりを見せた「#自分を作り上げたパチンコ(パチスロ)4選」。

 ツイッターではとても語りつくせない話が沢山あって、それなら悠遊道でやりましょう!というシンプルな理由でパクったオマージュした当企画ですが、ボクはパチスロ・パチンコの両刀で打ってきた系なので、両方書かせて頂きます。

 いわゆるガチ勢なので、機種の「〇〇が好きだった」といった話ではありません。当時の時代背景と自分語りがメインのコラムですので、その点何卒ご了承の程。

 では、早速。

冒険島2 三洋物産 1996年

 昭和生まれの人間は、その多くが親に連れられてパチンコ屋という存在を知る。ボクもそのうちの一人で、親が羽根物を打っていた近くを走り回っては玉を拾っていた。

 ただ、教師だった両親はそれが恥ずかしかったのか、ある時を境にボクを一切パチンコ屋へは連れて行ってくれなくなった。ギンギラのネオンも、雑多な空気感も、全てが子ども心を刺激したがさすがに小学生・中学生で一人でパチンコ屋に行く度胸もお金もない。「ちょっと行ってくる♪」と週末になるとパチンコ屋へ出かける両親を横目に、行きたくても行けないボクは、パチンコ屋を経営するファミコンに夢中になったりしていた。

 そうして高校生になり、一人でパチンコ屋に足を踏み入れられるようになって、現金機の冒険島2と出会う。

 片手にパチンコ必勝ガイド。片手にセーラムライト。どちらも「俺パチンコ屋に入れる年齢だぜ」というアピールの為のアイテムでしかなく、ガイドの中身なんて全く理解できなかったが、初めて500円玉を投入した「冒険島2」から、ボクのパチンコ・パチスロ人生は始まった。

 その時は当たって即交換。結局店員にはバレバレだったようで「二度と来るな」と小突かれもしたが、それがまたイケナイ事をしているドキドキ感を醸成し、それから通学途中で制服を着替えてはパチ屋へ赴く日々がスタートした。そして、収支などつけていないが、CR冒険島やCR大工の源さん、CRギンギラパラダイスなど、当時ホールの人気メーカーだった三洋物産の台で何だかんだで勝ててしまっていた。

 ボーダー理論を知るのはもう少し後。期待値計算など何も知らない小僧だったが、ゲームなら何時間でもやっていられるという素の性格とホール環境に恵まれていたんだろう。ずっと打っていたいから粘る。自然と持ち玉比率が上がる。それが幸いして、勝ててしまったことから、益々パチンコにのめり込んでいく事となる。

サンダーV メーシー 1997年

 大学生になったボクは相も変わらず時々パチンコ屋へ出かけていた。ただ、そもそも持っているお金の量が少ないもんだから、大勝ちしたらその分は使ってしまうし、負けてたら負けてたで熱くなって文無しまで突っ込んでしまう。そんな生活なもんだから、バイトもすぐにサボって都合が悪くなればブッチする。そんなクズだった。

 ただ、心の中に「さすがにこのままじゃイケナイ」という思いはずっとあった。

 そんな時、友人と打ちに行くことになったのがサンダーV。パチスロ未経験だったものの、友人の話を聞いて激しく興味をそそられて打った名機との出会いがボクを大きく変えていく。

 パチンコと違い、自分で7を揃えられる喜び。そしてリーチ目やフラッシュの意味。設定の意味。リプレイ外しという攻略。パチスロ攻略マガジンを穴が開くほど読み込んで、ひたすらサンダーVのリプレイ外しを練習し続けていた日々の中、目にしたのが「しのけん」さんのコラムだった。

 それ以前から田山プロのコラム、安田プロのコラムを楽しみにするガイド読者だったが、二人よりも年齢が近いスロプロの語る期待値論は、遠い憧れよりも現実論として腑に落ちた。この時、本当の意味でパチ・スロで勝つための方法を覚えたと言える。

 ホールとの出会いで言えば最初はパチンコ。しかし勝つための方法論を具体的に突き詰め始めた時、傍らにいたのはサンダーV。

 パチ・スロが勝てるギャンブルという事を知ると同時に「技術介入」が勝ちに繋がる事を教えてくれた。「コノママジャイケナイ」をパチ・スロでなんとかしようとしているあたり、性根がアレなのは問題だが、兎にも角にもサンダーVと出会ったおかげで「周りの人に迷惑をかける人間」から「バイトだけでお金がない友人に御馳走する」くらいの人間になれた。

 そして、ビタ押しが必要というリプレイ外しの難易度の高さが、ボクをよりこの世界に夢中にさせる大きなキッカケとなった。

獣王 サミー 2001年1月

 獣王が出た頃、ボクはパチスロで稼いだお金を基に一人暮らしを始めていた。当時、しのけんさんが誌面で書いていた「生活面で自立してなきゃプロじゃない」という一言が妙に刺さった厨二病感漂うボクは、自立するために勝ち方を覚え、この頃には一端のプロを気取っていた。勿論、気取っていただけだ。時代に恵まれていたにすぎなかったから。

 獣王は、以前のスペシャルコラムでも書いた機種なので、思い出話は割愛する。強いて言えば、如何に早く・多く回すか=仕事量を稼ぐか、という意識をナチュラルに感じた原点だったという程度か。

 一方、サンダーVから始まったボクのパチスロ観とは全く異なる獣王をはじめとする爆裂AT機たちの出現は、少しづつボクのパチスロへの興味を削いでいく。獣王にはまだ目押しの楽しみがあったけど、サラ金やアラジンなどの押し順だけで良いAT機に関しては、それに群がる人々を見た時、若かりし頃のボクは「こんなのパチスロじゃねぇ」と、パチスロモラトリアム期に突入していた記憶がある。

 GOD全盛の時代、近所のホールで首を吊る人が出ただの、一方では〇万枚だのといったトゲトゲしい話ばかりで「金・金・金」な現場に辟易していた。そんな中、目の前で老婆が泣きながら店員にすがっていたのを見た時、それまで無かった「この世界のダメな部分」を強烈に感じてしまい、それが自分にとって大きなストレスになってしまっていた。

 また、この時のGOD、アラジン、サラ金等、AT機の撤去騒動に関しては、ボクも業界の流れを雑誌を通じて追うようになっていて、そこから見えてくるホール・メーカー・警察等、あらゆる関係者が「汚い大人」にしか見えず、嫌気がさしていた。

 その上、爆裂AT機の6を求める軍団がまるで最先端のプロのように某マンガで賛美されたり、その後のストック機時代にはプロではない人々までもがハイエナとしてホールを徘徊し始めた。そうして、ボクのフラストレーションは頂点に達し、プライベートの事情もあって、この世界から一度足を洗う事を決意する。

 ボクのハイエナ嫌い・軍団嫌いは間違いなくこの時期に醸成されている。

CR新世紀エヴァンゲリオン 製造ビスティ 販売フィールズ 2004年12月

 パチスロの現場がストック機全盛となっていった2004-2005年ごろ、癒しを求めて打っていたのが初代エヴァだった。

 アニメ放送時の世代ではあるものの、元からエヴァが好きだったわけでもなんでもない。ただ「昔話題だったエヴァがパチンコで出るんだ。へ~」くらいの軽いノリで打ってみたら、当時のボクにはちょうど良かった。

 パチスロの現場がイヤになっている中、プライベートでも身内の死や男女関係のトラブルが重なった。2001年頃から始めたスポーツ系のライターも下積みばかりで全くお金にはならない日々。色々と苦しい時期だった時、頭の中を空っぽにしてボーっとハンドルを握っていられたのがエヴァだった。

 当時のボクは完全にパチスロ専門で、パチンコの攻略はおろか期待値計算や仕事量計算が出来なかった人間だ。無駄玉を出さない程度の止め打ちをしつつ、ボーダー+3~4程度のエヴァをマッタリ打っているだけで、この台がボクの収支に貢献したわけでも何でもない。ただ、ボクの人生で1番苦しかったこの時期に、心の逃げ道を作ってくれた機種だったのは間違いない。

 だから、エンタメや勝ち負けとは違う理由で、パチ屋へ足を運ぶ人がいる理由がボクにはよく分かる。

CRびっくりぱちんこ銭形平次withチームZ 京楽 2011年4月

 4年間の会社員生活を経て、ボクが再びパチプの世界に戻ってきてしまったのは2010年。その経緯は割愛するが、とにかく復帰してからは必死だった。1度目の、20代前半とは違う覚悟で取り組んでいたが、その中で自分に足りないものを探した際「プロとしての情報力の欠如」が大きな弱点と認識していた。

 何せ、これまで他人とつるむのが嫌いだった人間だ。勿論それでも成り立たせることは出来た時代だったが、せっかく会社員時代やライター見習い時代に培ったスキルを無駄にしたくないという思いもあり、ボクは人とつながる為にブログを始めた。

 そんな中、出会ったのがCR銭形平次。2011年の東日本大震災の影響による広告規制でパチスロでの立ち回りに苦しむ中、パチンコに活路を見出そうとして攻略効果の高かったこの機種に自然と目が向いた。

 ブログと銭形平次と、この二つによってボクは多数の人と出会い、その中の一人に安田一彦さんがいた。

 この機種が無ければ今の仕事もないし、ここでこうして記事を書かせてもらう事もない。ターニングポイントとしては間違いなく最重要な、語りつくせぬ程の思い出がある機種だけれども、この時Youtubeにアップロードした捻り打ち動画でプチ炎上したボクが、今別の形でパチンコ・パチスロ動画に取り組んでいるというのも何とも不思議な巡り合わせと言える。

パチスロ快盗天使ツインエンジェル3 SAMMY 2011年10月

 なぜこの機種にハマってしまったのかと言われれば明確な答えは持ち合わせていない。決して勝ちやすい機種でも環境でも無かったツインエンジェルを、それでも何かと理由をつけて追いかけてしまったのは、恐らくボクの根本にある「好きな事をしたい」が原因じゃないかと思う。

 銭形だけ打っていればお金になる。パチスロを打つにしたって、他にも勝ちやすい機種は一杯ある。でも、自分は何の為にまたパチプに戻ったのか。

 第一次パチプ時代末期に培われた「金の為なら何でもありなんて冗談じゃねえ」という根本があり、第二次パチプ時代の「結果が全て」という責任感が加わった状態で揺れ動く中、時折訪れるツインエンジェル3の高設定狙いが出来る日に、心置きなく設置店に向かえるよう、自分を律していく毎日。

 「結果を出せないボンクラではいたくないけど、最優先は金じゃない。好きな台を打ちたいからパチプやってんだよ」

 と、この頃常に思っていて、自然と打ちたいと思えたのがツインエンジェル3だったというだけだ。

 銭形が表に見える形で自分を成長させてくれた機種だとすれば、ツインエンジェル3は自分自身の内面的なスタイル・メンタルを明確にしてくれた台。そんな、位置づけだ。

CR我狼金色になれXX サンセイR&D 2014年7月 

 愛・憎で言えば憎しが勝る。

 パチプは日々何を打つか思案するところからスタートするが、期待値的に最優先の選択肢がコレばかりという日々が一時期あって、とにかく量は打った。ただ、まぁまぁ辛かった。何せ、ギャンブル性の塊のような機種をボクが好きなわけがない。それでも結果を残すために打ち込んで、打ち込んで、結果-100万円超えの欠損を叩き出した。

 普通なら発狂レベルの負けっぷりだろう。いくら荒い機種とは言え、ここまでくるとハンマーおじさんよろしく台をぶん殴りたくなるほど感情を揺さぶられる時もあった。

 しかし、当時、全ての稼働データを詳細に累計化していた結果、そこに広がっていたのは数字の残酷かつクールな世界。全てを均せば帳尻はしっかり合っていて、他機種の余剰がガロの欠損をかき消し、きっちり仕事量通りの結果になっていたのだ。

 オカルトも相性も関係ない。ロマンもへったくれもありゃしない。

 そんな景色を見た事が収穫だったのか、それとも不幸だったのかは未だに分からない。

 確かなのは、こと収支面で言えば、一つの機種・一つのホールでの結果に一喜一憂する意味なんてまるでないという事。そして、人生唯一の1日で差玉+10万発の爆裂をもたらしてくれた機種だけれど「もう一度ホールで打ちたいか?」と問われたら、答えは確実にノーサンキューという事だ。

2013年12月 SLOT魔法少女まどか☆マギカ 開発 メーシー 販売 ユニバーサルエンターテインメント

 

 まどマギの導入当初はそれほど打ち込んでいない。パチンコがメインの生活だったからだ。ただ、ツインエンジェル3がどんどんホールから姿を消していく中、それとは比較にならないほど設定状況に恵まれていたから打ち込むことができ、多くの楽しみを見い出す事が出来たのがまどマギだった。

 つい最近、惜しまれつつ引退したバジ絆・まどマギのツートップについて、改めてゲーム性を語る必要はないだろう。

 ただ、こうして振り返ってみて分かるのは、なぜボクがバジ絆が嫌いでまどマギに惹かれたのか、という点。絆にはハイエナがいて、目押しがいらなかった。まどマギのシマにそういう輩はおらず、難しくは無いけれど技術介入の余地を楽しめた。自分を作り上げてきたこれまでのパチンコ・パチスロが、自然とこちらを選ばせたのだろう。

 

 多くの方がそうであるように、語りたい機種はもっとある。されど「自分を作り上げた」と言うならばこのラインナップで間違いない。

 これは、大人になってからの大半をパチ・スロに捧げてしまい、これから更に捧げようとしている、とあるダメ人間の履歴書だ。

 


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