海シリーズはたいてい打ってきた。どの機種も思い入れがあり、エピソードも尽きないのだけれど、この台もまた同じ。いや、しんどい記憶ですが…。

最初はスキップ機のヒデキで居座り始めたホールで粘っていたんだな。
アタッカー周りがえらく良くて、ひねったりする前の時代でも雑誌の表記出玉よりずいぶんと多かった店だった。
加えて電サポ中はゴム打ちでスルーを十分に抜けたので、電チュー到達タイミングも安定して玉増えもニンマリ。

ただ、そこまで出玉がいいと、回りは体感的に辛いものになるのがパチンコの常。
初当り370分の1の機種を相手に3円だろうと、「千円23個を越えたらGO」なんて勝負だったからねえ。
最高負け額は10万と少々。当時も今も遅い時刻に持ち玉が無いとやめるスタイルの自分なれど、あの時は夕方にもう万札が10枚飛んでたからなあ。致しかた無しですわ。

このホールでは後に仲良くなる、パチテレの人気番組「ガチプロ」で活躍したヨースケ君と同じシマで連日打った。
そりゃあもう立ち振る舞いは格好良かったよ。当時はたった一人でどこにでも現れていて、必勝ガイドの日記には「サムライだ」と書いたくらい。

他には対策済みの右打ちを何とかしようと、ゴムでなくもう少し弱めで何軒かやったのも思い出深い。最初に書いたホールが終わる頃、足が悪いパチプロさんに「自分は右打ちしてたんだよ」と聞いてからね。
今なら「何で俺は試さなかったんだぁ!」と強烈に反省するところでも、当時は他でも食えたし、そこまで後悔はなかったりするのです。お気楽な時代なり。