賭博法(賭博及び富くじに関する罪)で、日本においてギャンブルは禁止されています。競馬、競輪等は特別法で許可されている。ではパチンコは??少し業界に詳しい方なら、風営法の下、遊技という建て前で認可されているという点はご存じかと思います。

 でも、以前からボクの中の大きな疑問として、パチンコ・パチスロの仕様に関する規則とか、広告に関する規制だとかをなぜ警察が牛耳っているのか。行政であって司法でも立法でもない警察がなぜそこまでの力を持っているのか。

 今日はそんなお話。

 そもそも警察組織の元を辿ると江戸時代まで遡るのですが、日本が近代化していく中で警察組織に求められている役割は、一貫して「治安維持」です。人間というものはいつの時代も変わらず「風俗」を求めるもの。ギャンブル・酒・女(男)等々、人々が求める本能をありのままに発散させ、放置していては「国家」が成り立たないからこそ、風俗を追求・利用し時に犯罪に手を染める者たちを武力でもって制圧する事が治安維持には欠かせない要素でした。

 従来は、テキヤ・博徒といった存在がことギャンブルの面で日本に存在し、競馬は明治の頃より国の施策として発祥しました。その後、忌まわしき第二次世界大戦を経て、日本がGHQの占領下におかれる中に咲いた徒花のような存在がパチンコでした。

 玉を借りて遊び、景品を得る。

 シンプルな娯楽と適度に射幸心を満たす遊びとして生まれたパチンコは、先の見えない戦後日本の中で間違いなく庶民の癒し・エンタメとしてその地位を確立していきます。そして多くの人、とりわけプロレタリアート(資本を持たない労働者階級)や戦争未亡人を始めとする女性たちに仕事を生み出しました。

 では、その頃の警察はどうだったのか。結論から言えば大きく混乱していました。

 1948年、旧警察法・風営法が施行され、民生委員が許可していた戦後直後の短期間を経て、この時点でパチンコ屋の開店は警察の許可制となりました。一方、戦前・戦中の中央集権組織の解体・日本の民主化を狙い、GHQはこの時、警察に自治権を持たせる形で極端な地方分権化を断行します。人口5,000人以上の地区にそれぞれ警察署を置く形となり、各警察署長の裁量でパチンコ屋の開店許可を出していました。

 その数なんと1,605箇所。戦後パチンコの興隆期と重なるこの時、警察は極端な地方分権の下で運営されていました。

 しかし、戦中の中央集権組織を是としていた、今で言う「上級国民」はこの状況がオモシロイわけがありません。現在の警察庁にあたる組織「国家地方警察本部」はこの時、本来は国・都道府県が負担するとされていた各自治体警察の運営にかかる経費を早々に打ち切る“兵糧攻め”にして機能不全に陥らせ、権力を取り戻そうとします。この副作用として、自治体警察と暴力団・地元有力者との癒着を引き起こします。

 他方、世相は混乱の極みにありました。人々は仕事はおろか明日食べる物も無い。大阪の子どもが闇市で売る仕入れの為に秋田まで闇米を買い付けにいき、30kgをかついで帰るようなそんな時代、治安は荒れに荒れ、日本人・朝鮮人・台湾人・中国人が入り乱れて暴力で奪い奪われる……。また、GHQの占領政策に懐柔されていく日本政府と、社会主義革命を求める在日朝鮮人・共産党とのアカとの闘いも頻発していました。それを体を張って鎮圧しなければならなかったのが各自治体の警察官たちです。

 現場で汗水を垂らし、文字通り血を流した叩き上げの地方警察官と、中央官僚との乖離は既にこの頃から始まっています。

 そんな中、実は治安回復に一筋の貢献をしたのがパチンコ業でした。

 「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、まともな仕事が無い戦後、パチンコ業は国籍・学歴・経歴を問わずやれる仕事でした。終戦から神武景気が庶民を潤し始めるまでの約9年間、経済がどん底だった中で一気に全国に広まっていったパチンコは、人々が社会復帰を果たす大きなキッカケとなり、パチンコ業を認可する各自治体警察が何よりも苦心した治安維持に、少なくない貢献をしていたのです。

 そんな時代背景の中、パチンコと自治体警察の間に人間的な繋がりが生まれた事を、現代の価値観で“癒着・汚職”と責めることが出来るでしょうか。安全なところから高邁な理想論を掲げる中央官僚より、様々な形で治安維持と経済回復に貢献したパチンコを生業としている人々と地方警察が繋がっていくのは当然のように思えます。

 ただ、連発式の登場によって射幸性を高めすぎたパチンコ業界は、上流階級を中心に湧き上がる批判の対象とされ、1954年に風営法の改正、連発式禁止令によって大きく歯止めをかけられます。また、同年、警察法の改正(現行警察法)によって警察行政も再び中央集権化していきます。

 官僚組織である警察庁、その下にある都道府県警という形はこの時作られ、パチンコホールの許認可については都道府県警の公安委員会に裁量が残される形となり、2019年の今もそれが続いています。それは、都道府県単位の交換率の違いや広告規制の相違など、業界と警察行政が一枚岩になり切れない原因の一つとして65年後の今に繋がっているのです。

 その後、「買人(バイニン)」が問題となる中、大阪で生まれた三店方式がなぜ現代まで続いているのか。

 本稿を前提に第8回のパチンコの歴史動画を見て頂いたら、色々捗るかと思います。


■万回転 プロフィール

  • 1978年生まれ ♂ 非業界人
  • 好物はアナログ機とリーチ目メインのスロ
  • パチプロ時代に当時タブーとされていたCR銭形平次の捻り打ち動画をアップしてしまいネットでプチ炎上。
  • それを機に安田プロと個人的な親交が生まれ、悠遊道へ寄稿する事に
  • 色々あって完全にパチプロを引退。現在は別業種のフリーライター・エディター他便利屋業
  • 色々あって×2。ドンマイ
  • 現在は稼働よりもパチンコの歴史についてお勉強中

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