化物語を打っていて、自分が日常と思っていたものが、非日常であったことが判明してしまいました

神原駿河さんのお話を見ていて気付いたのです

そう、怪異

自分は神原さんと違い、時間は限定されるのですが、右手が夜な夜な「猿の手」に

ごめんなさい、24時間でした

 

 

よーけ当たってます

しかし、こう当たり続けていると、電サポ中の止め打ちなんかを繰り返しながら、ふと

「ああ、こんなことをして自分は年老いていくのかなぁ」

なんて、漠然とした不安が湧いてくるから不思議です

 

それまでの歯を食いしばって打っていたときには

「もしかして勝てないんじゃね」

「んなわきゃあるか!!」

「でも、いくらなんでも一過性にしては負け過ぎじゃね」

「もしかして勝て…」

と∞ループしながら必死になって、出すことだけが思考のすべてだったんすけどね

 

結局、将来だとか、老いだとか、老後だとか、独り身だとか、持病だとか、他、諸々の不安は、「今日のおまんま、寝床が確約されている」上にあるもんなんすかね

湧いてくる先々の不安は、「考える余裕のある現在」の証明

もしそうならば、散るその瞬間まで、常に先のことを考えて震えるよりも、いまこの瞬間を愉しむことの方が合理的なのでは、と自分は考えました

 

そうして、今までならばいくら勝とうが貯蓄にまわすところ、今この瞬間を愉しまねば人生が勿体ないと、土曜夜帰り、頑張ったご褒美にドラッグストアに寄って○ーションを買ってみることに

 

(画像自粛)

 

なんか、人として一回り大きくなれた気がしました

 

人は何歳になっても成長できるもんですね

 

※きっと、これで猿の手もご満悦

(どう写しても生々しすぎて本人ですら引いてしまったので、今回画像は自粛しました)