誰が呼んだか、誰が呼んだか、パチンコバブル世代

と、花のお江戸は八百八町的な導入フレーズなれど、筆者の実態は関西人。

悠遊道の【アレ】と呼ばれるのが目標のまだまだ新人気分な夾竹です。

さて、5月以降まともにパチンコを打って無い事もありますが、今回は冒頭に書きましたバブルの頃の思い出話など書かせてちょんまげ!

宇宙刑事ギャバンの蒸着は0.05秒で行われるのだ!

パチンコを自分の意志&お金で初めて打ったのは、恐らく大学に入りたての頃。バイトの給料を握りしめ近所のK店に向かった時だったと記憶しています。

ちなみに、それ以前にも予備校生の頃、まとめて親に貰った定期代だとかをちょろまかして【千日前のおくちょう会館】に朝から並んでランバーⅠって羽根を打ち止めにしたり(お母さんごめんなさい)していましたが、本格的にのめり込んでしまったのは時間がタップリ出来た学生時代ですね。

当時のパチンコ店ですが、悠遊道読者の中心世代である皆さんならばご存知の通り、若造には厳しくも刺激的で、何もかもが怪しく見えて魅力たっぷり。

夾竹青年は、宇宙刑事ギャバンの蒸着よりも早いスピードで、パチンコの虜になりましたとさ。めでたしめでたし。

前置きが長すぎましたが、そこは今回も読み手の皆さんに甘えさせて頂くスタイルで行きます。(ダメ絶対!)

 

夾竹青年の衝撃と葛藤

基本的に学校とバイト以外の時間は毎日パチンコ店で過ごしていたのですが、そうすると様々な出来事と遭遇します。

出玉関連の事は自慢話にしかならないので、いつかの酒宴の時にするとして、当時まだチャンスボタンが「木下藤吉郎」と呼ばれていた頃・・・じゃなくて、パチンコ台に搭載されていなかった頃(ふざけましたごめんなさい)
※編集注記・・・「琵琶湖の南に~(中略)~飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。」と、仮面の忍者赤影のアバンタイトルが脳裏に浮かんだそこのアナタ、正解です。

そんな時代に、ホールで目にしたのは「愉快」な常連さん。

どのように「愉快」かと言うと・・・

  • リーチの度に「鍵穴押さえる族」
  • ハマると、俺は店に目を付けられてるからとか、3日に一度は言いに来る「店の陰謀論者」
  • 大人しく紳士的だけど、これまたハマると徐々に右に傾いて挙句には隣の客の肩に頭を載せるんじゃないかと噂される、「カップルシートの彼女の方おじさん」

と、おそらく皆様の思い出のホールにも同系統の方が居たのではないでしょうか?

そんな、愉快な常連さんに囲まれ、ホントに夢のように幸せな空間だし時間でした。

しかしそれは地元店限定での話

大阪市内、特にミナミや○○界隈ではそうもいきません。

ある日、羽根モノで小箱が満タンになり二つ目の箱を隣の空き台から拝借してほんの少し離席しただけなのに、戻るとあら不思議!キレイさっぱりオイラの小箱ちゃんが行方不明に(笑)

ほぼ犯人の目星は付いているものの、小心者の自分が繫華街のど真ん中で大立ち回りなんてできるわけもなく「あの子(小箱)は、神隠しに遭ってしまったんだ…」と自分に言い聞かせ、マネキンみたいな表情で店を後にしたりもしました。

と同時に、パチプロの人って…漫画みたいに何でもするんだなって、衝撃を受けました。

でも、思い出はそんな嫌な事ばかりでもなく。

別の店舗では、【通りにくい調整の釘を抜けたら二桁デジタルが変動して、特定数字が揃うと普段は絶対開かないチューリップが開いて、後は右打ちで玉が増え続けるタイプの台】で遊技に興じようと席に座ると、隣の席の「香ばしいフレーバー」が漂うオジサマ当たっても無いのに何故か右打ちで玉を増やしている事に気付いてしまいました。

小僧(=夾竹青年)が気付いた事を察したそのオジサマ、聞いてもいないのに「て、店員が閉め忘れたんだよ」と言い訳しながら、何故か自分に台を譲ってくれまして(汗)。

まさかの事態に心臓がバックバクの鼓動を刻む状況になりながら、譲り受けた台で3,000発程流し、即戎橋筋商店街の人混みにまぎれました・・・。

・・・今にして思うと、所謂「gotoキャンペーン実施中」だったのか、非常に危険な事に巻き込まれていただけなのに、当時の夾竹青年は「認められた」気がして単純に嬉しかったみたいです。

ただ「あの店のホールコンピューターどうなってたんだろう・・・?」と、そこは未だに不思議です。

 

真面目なふりしてばばんばーん♪

はてさて、5月の終わり頃に初稿を掲載して頂いて早くも3ヶ月以上が経ち、その間も何本か寄稿してきました。

あるお方から「兎に角書かないとダメ!」と裏声で愛情たっぷりな言葉をもらい続けている身としましては、稚拙でも持てる力を駆使して、少しずつペースを上げて書いていく所存で有ります。

皆様、今後とも宜しくお付き合いのほどお願いいたします。