今回のテーマはパチンコと感謝したいことになるわけですが、自分にとってパチンコとは色々な意味で自分の居場所を作ってくれた存在であり、それを設置しているホールは精神的安堵が得られる場所でもありました。自分が今で言うパニック障害のような症状に悩まされていた頃、半分引きこもりのような状況だった頃、とにかく外に出ないといけない、外に出て何かしないといけない、でもアルバイトをするような気にはなれないし、かと言ってお金がないと親に迷惑をかけるだけなどと色々と思案を巡らせていた頃、何とか集中して時間を使うことができたのがパチンコでした。
決してプロのような生活をしていたわけではありませんが、勝ち方は概ね理解し、羽根モノと権利モノ中心に朝イチ10時から打ち始めて1台〜2台打止にすれば上出来と、そんな風に日々過ごしていました。小遣い稼ぎ程度にしかならないのですが、それでも引きこもっているよりはマシでしょう。その頃は釘を読むのはもちろんですが、換金率や営業形態 (定量制 or 無定量など)、客層や店員の接客態度まで、自宅周辺の数店舗を比較し、安定して勝てる店、気持ちよく打てる店を自分なりに真面目に考えたりしていました。
単なるプータローでは格好がつかないのですが、日々外に出て時間を使い、お金を稼いで帰ってくるとなれば、まあ何とかそれなりに充足感も出てきます。また、同時に将来的には文章を書いて生活したい、出版界隈で働いてみたいという気持ちも出てきたわけで、徐々にですが半引きこもり生活からは脱却しつつありました。それもこれも全てパチンコのおかげなんてことは言いませんが、助けになってくれたのは確かでしょう。自分の精神的居場所がないというのは辛いもので、パチンコという遊技そのものとパチンコ店が何とか自分のような半端者でも受け入れてくれる存在であったわけです。
一昔前、パチンコ店をパーラーと呼ぶような動きがありました (今でも店名として採用しているところはある)。パーラーというのはフランス語 (parlour) で談話室や軽食喫茶室のような意味を持ち、ホール (大広間、会館) と呼ぶより適切だろうと、そういったことらしいのですが、現状はどうでしょうか。そのような動きがあった頃 (80年代後半頃) は誰でも気軽に入れて、ちょっとお洒落なイメージでも持たせようとしたのかもしれませんが、その目論見は半分当たって半分外れたとそんなところでしょうか。誰でも気軽に入れるようになったのは間違いないけど、お洒落なイメージとは程遠く、相変わらず脱税やら依存症やら、負のイメージが強いわけで、まあそれでも暴力団や反社が絡んでいるとか、かつては当たり前のように語られていた不都合な事実はほぼほぼ消え去ったと言っていいとは思います。
パーラーという名称はともかく、談話室、喫茶室のようなイメージでパチンコ店を語るのは今も昔も無理があるでしょう。ただ、自分が通い詰めていた頃は (80年代後半) 〜ここに来れば時間を費やすことができる、誰にも文句は言わせずに過ごすことができる、喫茶店にいるような感覚になる、ちょっとした小遣い稼ぎができる、店員や常連客と親しくなったりもする、居場所がある、精神的な居場所がある〜 と、そんな感覚でした。自分は決してプロになれるような実力はないので、それで生活していこうなんて気はありませんでしたが、勝ち方くらいは知っておこう、そしてパチンコの楽しさ、面白さを伝えるような仕事ができればそれでいいのではないかと、そんな風に考えるようになっていきました。
今もここ (店) に来れば時間を費やすことはできるでしょうが、生半可な知識ではほぼ確実にお金は減るでしょう。また、100円単位で遊ぶことなどできず、射幸性の高い機種ばかりで、ストレスも溜まることと思います。とてもじゃないが、喫茶店感覚で店には入れないでしょう。居場所を作ろうとしても、ここはそんな場所ではないと早々に気づくことと思います。低貸しがあると言われそうですが、個人的にはボーダーを超えるような調整にはお目にかかったことがありません。そこそこ遊べるのなら話は別ですが、現状はそれすら難しいのではないかと思います。
時代がまるで違うと言われればそれまでですが、少なくとも自分の場合はパチンコやパチンコ店に救われたのは事実であり、それがなかったら20代半ばを過ぎてもブラブラとしていたかもしれません。やがては親からも見切りをつけられ、何がどうなったかは全くわかりません。自分の精神的居場所を提供してくれたパチンコとパチンコ店には今でも感謝しています。また、真面目に努力をすれば報われるということを学んだような気もします。釘を読むのも努力、展開に恵まれなくても打ち続けるのもまた努力、時には理不尽な思いをしても我慢するのもまた努力、そのような努力、忍耐力は仕事をしていく上でも役に立ったのではないかと思いますね。
蛇足ですが、パニック障害はいつまた何か発作 (めまい、呼吸困難、吐き気など) が起きるのではないかという不安感に襲われるため、一定時間同じ環境にいるのが非常に苦になります。例えば長時間の電車や車での移動、歯医者さんや美容室に行くのも億劫になります。途中でその場から去ることができないからです。ですから、同じ電車に乗るのも急行や特急はダメで、いざとなったら次の駅で降りることができる各駅停車なら何とか大丈夫となるわけです。これがパチンコの場合はどうなるでしょうか。
基本的に羽根モノや権利モノは大丈夫なのですが、途中で休むことができない電役はちょっと大変でした。羽根モノは当時8ラウンドでしたから当たり1回での所要時間はそれほど長くありません。権利モノは、その気になれば途中で休むことができます。まあ、これも当時は最高で8ラウンドでしたからスムースにラウンドが進む台はすぐに1回の権利が終わりますし、始動口が渋い台はそれを逆手にとって一休みすることができます。
問題は打ち出しをやめると出玉が取れない電役で、特にキングハンタータイプは打ち出し停止=パンクの危険性大となるわけで、しかもこのタイプは換金率にもよりますが、大抵4000個から5000個定量で営業していた店が多く、尚且つ出玉スピードはお世辞にも早いとは言い難く、定量まで30分以上かかることはザラでした。その間、何度もめまいや過呼吸気味になったりするわけですが、背に腹は変えられず、ただひたすら打ち続けて定量のアナウンスを待つわけです。
今となってはそんなこともあったなで終わる話ですが、当時はそれなりに悩んだものでした。と言うのも、キングハンタータイプは止め打ちさえすればほぼほぼ勝ちが約束されるような台だったわけで、精神的不安感があろうとも、お金になるのだから打たなくてはとなるわけです。出始めの頃は店もうるさくなく、店員が背後を通る時は普通に連続打ちをし、いなくなったらしっかり止め打ちをするというだけで良かったのです。今のようにホルコンが差玉を絶えずチェックしているような状況ではなく、ゆるいと言えばゆるい時代でした。