―前回は編集部に作文を送り、とりあえずはデータ取りや様々な雑用を任せられたという話を聞きましたが、まだ原稿を書かせてもらうようにはなっていなかったのですか。
「まだデータ取りが多かったですね。新機種のシマデータを取るだけでなく、編集部内で実機のデータ取りがありました。確か機種はSANKYOのF・マキシムEXⅢだったと思います。台枠がなくて、セル盤だけでしたけど、始動口にゲージ棒を出し入れし、ドラムを回し続けるんです。まあ、普通のデータ取りですね。マキシムシリーズは平和の麻雀物語に対抗して出てきたと記憶していますが、まあ面白くない機種でしたね。保1連チャン機で、それがハズレてしまえば後は通常状態に戻るだけで、特に連チャンを促進するような打法はないだろうというのが当初からの下馬評でした」
―で、実際に何もなかったと。
「なかったですねー。単発で回そうが、連続回しをしようが、連チャンする時はする、しない時はしないと、当時のSANKYOおなじみの保1連チャン機でした。この機種って今でも普通にweb等で検索すれば出てきますけど、とにかくドラムがキラキラしていて目が疲れるんですね。おまけにデータ取りはセル盤だけの状態でしたから、スピーカーも何もない。ようするに無音状態で延々と回すわけです。昼過ぎに編集部に来て、夕方くらいまで回す、目標は1万回転と言われていましたが、6千回転くらいで勘弁してもらいました (笑)。一週間くらい通いましたかね」
―それはそれは。
「当時良く言われていたのが、これで麻雀物語に対抗できると本気で思っているのかと、そんな声がよく飛び交っていました。先述しましたが、長時間打っていると相当目が疲れますし、大体ドラムが小さいんですよね。当時としてはやむを得なかったのでしょうが、各図柄がどうにもハッキリしませんし、斜めラインは無効だし、また連チャンの仕組みが単純で、当然のように狙えない。打ち手の知識や工夫が生かされない機種は面白みがないと、編集部としてはそんな雰囲気でしたね」
―データ取りに関しては何らかの報酬のようなものはあったのでしょうか。
「普通にバイト料のようなカタチで銀行に振り込んでもらえたように覚えてます。額までは覚えてないけど、時間あたりいくらと、まあダダ働きというわけでは決してなかったです (笑)。また、その頃は文庫本サイズのまとめ本を出そうという企画が出ていて、確かパチスロの方が先だったのかな。そこそこ売れたからパチンコでも出そうと、そんな流れだったような気がします。そして、その文庫本の原稿を書いてみないかと、編集長だったN氏か副編集長のM氏に言われたのではなかったかな」
―おぉ、ようやくチャンスが巡ってきたわけですね。
「嬉しいと言えば嬉しいのですが、それで何度書いてもダメ出しされて、最終的には見切りをつけられたらどうしましょうかと、そんな風にも考えました。でも、とにかく書く機会をもらえたのだから、変に受けを狙ったりせず、真面目にかつ面白い文章を書いてみようと、前向きに捉えましたね。同様、書く機会を与えられた新人は僕の他に2人いて、1人は後にパチスロ必勝ガイドの方で編集者として活躍したS君、もう一人の方は名前は失念しましたけど年配で非常に腰の低い人だったように覚えています」
―ちょっと話は変わりますが、その頃ってもう安田プロはG誌で活躍していたんですよね。お会いするようなことはなかったのですか。また、その文庫本等で安田プロも執筆していたとか、そんなことはなかったのですか。
「うーん、その頃はまだお会いしてなかったと思います。多分、常時編集部にいたというわけではなかったでしょうし、それにその頃安田プロは2人いたわけで (笑)、ガラの悪い方はひょっとしたらすれ違ったりしていたかもしれません。原稿に関しては、既に本誌の方で活躍していた人たちも文庫や増刊などで執筆していたことはあったと思います。ただ、安田さんが書いていたかどうかは分かりません。あぁ、あと昨年亡くなられたIさんですか、あの方と一緒に編集部の攻略ルームで原稿を書きました」
―Iさんって、あのG誌のライバルだったM誌の方でご活躍されていた方ですよね。
「最初はG誌だったんですよね。大きな声で、さぁ、頑張って原稿を書こうと、緊張していた自分たちを盛り上げてくれたのを覚えています。ヘアースタイルが数字の7になってて、えっ、ゴワさん (ゴワゴワ王というのがI氏のペンネーム。新人は畏敬の念を込めてゴワさんと呼んでいた) ってセブン先生 (主にパチスロ必勝ガイドで活躍) と同一人物なんですかって驚いたのが最初の印象です。読者時代はパチンコのゴワゴワ王とパチスロのセブン先生は別人だと思っていましたから」
―そういうことって、中に入ってみないと分からないですよねー。
「まあ、そんなこんな、とりあえず原稿を書くという仕事がスタートしたのですが、これ以降についてはまた次回ということで。バックナンバーとか、古い資料とか、手元に豊富にあればいいんですが、これがなかなか。拙い記憶を振り絞って、印象に残っていることをお話しできればと思ってます」


